記事・コラム 2021.06.15

ゴルフジャーナリストが見た、プロゴルファーの知られざる素顔

【第48回】B・デシャンボーの熱くて厚い義理人情

講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、NY、ロサンゼルスを経て、現在は日本が拠点。

ブライソン・デシャンボーといえば、1日にステーキを中心とした食事6食を平らげ、プロテイン・ドリンク6杯を飲み、体重を30ポンド以上も増やし、そうやって肉体を巨大化して飛距離アップを実現した米ツアー選手だ。

思い切りドライバーを振れば、得られる飛距離は400ヤードを超える。その絶大なるビッグ・ドライブを武器にして、2020年9月の全米オープンを圧勝したことは、ゴルフファンの間では周知の事実である。

現在27歳のデシャンボーは、身長185センチ、体重235ポンド(約106キロ)。すでにメジャー1勝を含む米ツアー通算8勝を挙げ、世界ランキングはトップ5入りを果たしている。

ジュニア時代、アマチュア時代から「変わり者」と呼ばれ、米ツアー選手になってからは「マッド・サイエンティスト(狂った科学者)」と呼ばれてきた。全米オープン覇者になってからは、さすがに彼を「マッド」呼ばわりするメディアは見かけなくなったが、依然として独自路線を猛進するデシャンボーには常に好奇の目が向けられている。

しかし、たとえ「変わり者」であっても、「マッド」であっても、自分を支えてくれた人々や社会に対する感謝の心と恩返しを忘れたことはない。

そして、デシャンボーが取り組んでいる社会貢献には、彼の人生経験が色濃く反映されている。

ガラクタ小屋から誕生した

1993年9月16日、デシャンボーはカリフォルニア州北部のモデストという小さな町で生まれ、幼いころからゴルフクラブを握っていたが、家計はとても苦しかったそうだ。「子どものころ、ランチを買うお金を学校へ持っていくことができなかった。食べるものが何もない。そういう苦しい時期が我が家にはあった。でも、両親はいつも僕にベストを尽くさせてくれた。ゴルフをする機会、練習して上手くなるチャンスを持たせてくれた」

デシャンボーの自宅の近くにマデラという町があり、その町の庶民のゴルフ場、ドラゴンフライGCにマイク・シャイというティーチングプロがいた。

シャイは、野球のバットやグローブ、古いタイヤやフラフープなど、そこらへんにあるガラクタをゴルフ場の片隅の小屋の中に集め、そのガラクタを利用して作り出した練習器具を使って、人々にゴルフを教えていた。

学校に持っていくランチ代がままならなかったデシャンボー少年は、放課後の居場所もなかったがゆえに、ドラゴンフライGCの一角にあったシャイのガラクタ小屋に毎日、通うようになった。

そこに居ること自体はタダだし、捨てられていたガラクタを見事な練習器具に変えるシャイはマジシャンのように魅力的に見え、デシャンボーにとってシャイと一緒に過ごす時間は、まさに至福のひとときだった。

その時間は、ただ楽しいだけではなく、クラブや身体の動きを知り、スイングやボールの弾道を物理科学的に知る上で大いに役立った。後にデシャンボーが同一レングスのアイアンを使い始めたこと、「科学者」と呼ばれるようになったことは、シャイと一緒にガラクタから練習器具を作り出した日々を過ごしたからこそだったのだ。

そう、「マッド・サイエンティスト」デシャンボーは、シャイのガラクタ小屋から誕生したのである。

「感謝しきれない」

テキサス州内のサザン・メソディスト大学へ進み、2015年に全米アマとNCAA選手権個人タイトルの双方を獲得したデシャンボーは2016年にプロ転向。下部ツアーを経て、2017年から米ツアーで戦い始めた。

ルーキーイヤーに早々に初優勝を挙げたものの、すぐさま「スロープレーだ」と批判され、2018年には使用していたパターやパッティング・スタイルが「ルール違反だ」と指摘された。

そのときは、デシャンボーが折れる形でパターを持ち替え、ストローク方法を変更し、それでも彼は、2018年のメモリアル・トーナメントを制して通算2勝目を挙げた。

しかし今度は試合中にピン位置を知るために「昔から使っていた」というコンパスが「ルール違反では?」と指摘されるなど、デシャンボーには常に厳しい目が向けられ続けてきた。

そうしたすべてを打ち破ったのが、コロナ禍でデシャンボーが敢行した肉体の巨大化による飛距離アップ作戦だった。あまりにも見事な変身ぶりと、あまりにも見事な全米オープン圧勝により、彼は周囲を黙らせ、世界ランキングを駆け上り、そしてビッグスターの座を手に入れた。

ひたすら感謝

それでもデシャンボーは、世の中を見返したとか、批判ばかりを口にした周囲に仕返しをしたという気持ちを抱いたわけではなく、むしろ「みんながいてくれるから、ツアーがあり、大会があり、僕が戦う場がある」と感謝した。とりわけ、ジュニア時代の自分を受け入れ、ゴルフとゴルフ理論を教えながら育ててくれたシャイやドラゴンフライGCの人々には「どんなに感謝しても感謝しきれない」と感じている。

2018年に「ブライソン・デシャンボー財団」を設立したデシャンボーは、3つの目標を立てて取り組んでいる。1つは「ゴルフをしたいというパッションを抱くジュニアゴルファーの育成と支援」、2つ目は「世界中の人々の生命の維持と向上」、そして3つ目は「学びたいというパッションを抱く人々が教育を受けられる道を提供する」。

デシャンボーが「パッション」にこだわるのは、かつての彼自身が、人一倍の熱意があってもお金や機会になかなか恵まれなかった辛い日々を味わったからに違いない。

そして、全米各地の小児病院や臓器提供をコーディネートする財団、生まれ故郷であるカリフォルニア北部のゴルフ協会などを通じて多額の寄付も行なっている。

ブライソン・デシャンボー・セレブリティ・トーナメントも2019年に創設。さらには、ドラゴンフライGCでジュニア・トーナメントも主宰し、毎年、デシャンボー自ら出向いて子どもたちを激励している。

肉体を巨大化させ、立場も知名度もランキングも高め、地位も名誉も財も築いたデシャンボーは、大きなものを得れば得るほど、社会の弱者を気遣い、優しい目を向けていく。

そんな彼は、単にマッチョな飛ばし屋ではなく、社会や人々への恩返しを忘れない義理堅い一流プロゴルファーなのである。