記事・コラム 2021.05.15

ゴルフジャーナリストが見た、プロゴルファーの知られざる素顔

【第47回】絵を描き続ける「みんなのヒーロー」

講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、NY、ロサンゼルスを経て、現在は日本が拠点。

米PGAツアーで戦う選手たちの中で、大学でアートを専攻してプロになったのは、私が知る限りでは、ルーク・ドナルド、ただ一人だ。

英国出身のドナルドは、イリノイ州シカゴにあるノース・ウエスタン大学へ留学し、大好きなアートを学びながら、ゴルフ部で腕を磨いた。

そして大学を卒業した2001年にプロ転向し、2002年からPGAツアー参戦を開始。当時のドナルドは「アーティスト・プレーヤー」「アートもゴルフも天才的」などとうたわれ、彼がアート専攻だったことは、しばしば話題になった。

ドナルドが描いた油絵はあちらこちらに登場し、その絵が高額で売れたことも、しばしば話題に上った。

絵を描いて売ることをドナルドが副業にしていたわけでは、もちろんない。というのも、「売れた」とは、チャリティ・オークションで「落札された」という意味であり、そのたびに大きなお金がどこかの福祉団体へ寄付されたことを示していた。

肝心のゴルフも好調で、2002年に初優勝を挙げたドナルドは、米ツアー通算5勝を挙げて、世界ナンバー1にも輝いた。

しかし2012年のトラジション選手権を最後に優勝から遠ざかり、成績は下降の一途。最近ではドナルドの名前が話題に上ることはほとんどない。

だが、ドナルドが描く絵は、彼がゴルフの試合で活躍するかどうかに関わらず、いまなお社会の中で活躍し続けている。

「世界一からの大転落」

英国で生まれたドナルドは、幼少時代、冬を迎えるたびに、雪深い英国から脱出し、温暖なスペインの別荘で兄とゴルフに打ち込む生活を謳歌しながら成長した。

「8歳でゴルフを始めた。父はゴルフをほとんどやらないけど、祖父がゴルフ好きだった。最初は大柄な兄のクリスのほうが強かったけど、クリスと僕の立場はすぐに逆転した」

19歳まで英国ナショナルチームに所属。わずか10名の精鋭メンバーに選ばれた。

その後、米国シカゴのノース・ウエスタン大学へゴルフ留学。とはいえ、インストラクターなどから手ほどきを受けたことはなく、いわば技術は自己流だ。

大学卒業直後の01年、スポンサー推薦を得たレノタホオープンで米ツアー初出場。その年の秋、Qスクール(予選会)を経て02年出場権を手に入れ、ルーキーイヤーの最終戦、サザンファームビューローで初優勝を飾った。

「自分には勝てるポテンシャルがあると信じていた」

そう、ドナルドは、かつては「世界ナンバー1のアマチュア」と呼ばれた存在で、そんな彼がプロ転向したら次々に勝利を収めるだろうと誰もが思い、ドナルド自身もそう信じていた。

大方の予想通り、初優勝はすぐに挙げた。しかし、それから2006年ホンダクラシックで2勝目を挙げるまでには4年もかかった。それから2011年に世界選手権シリーズのアクセンチュア・マッチプレー選手権を制して3勝目を挙げるまでには、さらに5年の歳月が流れた。

勝てない間、ドナルドは試行錯誤を繰り返し、勝つための扉をどうしたら開けるか、その突破口を探すことに必死になった。

ドナルドは小柄で飛距離は出ないが、正確なアイアンショットには定評があった。

「飛距離ランクは相変わらず下位だけど、正確性は誰にも負けない。勝てるかどうかは、あと1つ、たった1つ、ミスを減らすことができるかどうかだ。そのためには、メンタル面の強化が必要だ。そして、スコアリングの決め手はパットだ。そしてパットもメンタル次第だ」

メンタルトレーナーの指導を受け始め、心の強化とコントロールに努めたら、2011年はレギュラーシーズン最終戦のチルドレンズ・ミラクル・ネットワーク・ホスピタルズ・クラシックを制し、年間2勝、通算4勝目を挙げて米ツアー賞金王に輝いた。世界ランキング1位にも上り詰め、王座に半年以上も君臨した。プレーヤー・オブ・ザ・イヤーも受賞した。

それでも欧米メディアは、ドナルドがメジャー大会で未勝利であることを指摘し、「メジャー・タイトルなき世界一はノー・リスペクト(尊敬されない)」などと手厳しかった。

だが、そんな外野の揶揄に惑わされることなく、ドナルドは2012年にトランジション選手権を制し、通算5勝目を達成。

しかし、それからのドナルドは、階段を転がり落ちるように成績が下降し、今では、彼がかつて世界ナンバー1であったことを覚えているファンはめっきり少なくなっている。

「当たり前のルーティーン」

米ツアーの大会でドナルドの活躍を目にする機会は激減してしまったが、彼が描く油絵は、いまでもチャリティ・オークションの場で高値で落札されているという話を、最近、耳にして嬉しく思った。

ドナルドが大学時代から絵を描いてはオークションに出し、落札された金額をそのまま福祉団体へ寄付していたことは以前から知られていたが、よくよく聞いてみると、彼はそれ以外にも、いろいろな社会貢献活動をしていたそうだ。

ドナルドが大学生だったころ、アメリカのゴルフ界では、ゴルフを通して人間教育や人間育成を図るファーストティ・プログラムというプロジェクトが立ち上がり、アメリカから世界へと広まりつつあった。

ドナルドは、そのファーストティ・プログラムのシカゴ支部を大学ゴルフ部のコーチとともに創設し、コーチは会長、ドナルドは副会長を務め、地域の子どもたちにゴルフクラブを握ってもらう機会を作っては、子どもたちと一緒に楽しい時間を過ごしていた。

友人と協力してワインのドナルド・コレクションを作り、ファーストティ・シカゴ支部のイベントを開いては、そこで自分のワインのテイスティングと直売会を行なって、その売り上げを寄付するという仕組みも作って活動していたという。

そうやって社会貢献に努めてきたドナルドだからこそ、シカゴの人々は彼の成績がどんなに低迷しようとも「ドナルドはシカゴのヒーローだ」と口を揃える。

そしてドナルドも、自身のプロゴルファーとしての成績に関わらず、昔も今も時間を作っては笑顔を描き、その絵を売って寄付をする。それが「当たり前のルーティーンだ」と言い切るドナルドは、シカゴのみならず、私たちみんなのヒーローだ。