記事・コラム 2020.03.15

ゴルフジャーナリストが見た、プロゴルファーの知られざる素顔

【第33回】「いつかは、私が」と誓った物語

講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、NY、ロサンゼルスを経て、現在は日本が拠点。

 今年2月。オーストラリアのメルボルンでユニークなプロゴルフ大会が開催された。男子の欧州ツアーと女子の米ツアー(LPGA)の共催大会「ISPSハンダ・ビック・オープン」。男女が同じコース上でプレーする形式はプロゴルフ界で初めての試みとあって、大きな注目を集めていた。
 そんな中、19人の女子のルーキーたちが明るい笑顔を輝かせていた。そのうちの1人、ヘイリー・ムーアは初日を首位に1打差の3位タイで好発進し、ひときわ大きな脚光を浴びていた。

厳しい船出

 イリノイ州出身のムーアは現在21歳。アマチュア時代は「シンデレラガール」と呼ばれていたが、アリゾナ大学を卒業し、昨秋にプロ転向。Qシリーズ(予選会)を11位タイで突破し、今年のLPGA出場資格を手に入れたばかりだ。
 冒頭で触れたビック・オープンはムーアにとって記念すべきプロデビュー戦。だが、そこに至るまでの彼女の歩みを是非とも知っていただきたい。
 彼女の物語にはいつも新たな展開があり、どんどん世界が広がっていく。文字通りの「ネバー・エンディング・ストーリー」であり、彼女は常にその主役だ。

 幼少期にアスペルガー症候群と診断されたムーアは、子どものころから「太っている」「醜い」などとからかわれ、周囲から壮絶ないじめを受けていたという。
 だが、彼女は大好きなゴルフに打ち込んで黙々と腕を磨き、やがて才能溢れるアマチュアゴルファーとして脚光を浴びるようになった。
 ANAインスピレーションズ・ジュニアチャレンジで優勝し、その資格で2015年には大人のプロたちに混じってメジャー大会のANAインスピレーションズに16歳で出場。見事、予選通過を果たし、全米で話題になった。
 ゴルフの名門アリゾナ大学へ進み、2018年にはカレッジゴルフの最高峰であるNCAA選手権でチームを優勝へ導く立役者になった。
 昨春はマスターズ開幕直前に開催された第1回オーガスタ・ナショナル女子アマチュア選手権で健闘し、7位に食い込んだ。

 そんなムーアの歩みは、アメリカのゴルフファンのみならず、多くの人々に知れ渡り、すっかり人気者になっていた。
 それなのに、この昨秋にプロ転向を宣言したムーアをスポンサードしてくれる企業はただの1つも無く、厳しい船出になった。
 アメリカでツアープロとして活動していくためには莫大な転戦費用が必要になる。飛行機代、ホテル代、レンタカー代、キャディへの支払い、そして試合へのエントリーフィー。
 米LPGAの出場資格を得るためには登竜門であるQシリーズ(予選会)を勝ち抜くことが必要で、ムーアはその1次予選だけは家族の支援でエントリーすることができ、きっちり勝ち残った。
 だが「1次予選でかかった経費は全部でほぼ2万ドルでした。最終予選はエントリーフィーだけでも3000ドルで、経費はさらに増え、全部で3万ドルが必要になります。我が家にそんな経済力は、もはやありません」と、ムーアの母親は肩を落とした。

温かいオファー

 しかし、ムーアも母親も「落胆しているだけでは前へ進めない」と気丈に前を向いた。幼少時代の壮絶な日々を乗り越えてプロゴルファーになったことを考えれば、何だってできると思い直し、打開策を模索した。
 そして「私をツアーへ行かせてください。私に寄付してください」と呼びかけ、「gofundme」という名のファンドを立ち上げた。掲げた目標額は3万ドル。早々に地元のゴルフ場の知人など数人が寄付してくれた。
 それでも当初は3万ドルにはほど遠かったが、米ゴルフウィーク誌が「シンデレラガールの窮状」を報じると、わずか3日間で6500ドルを超え、さらには、お金ではないオファーが次々に舞い込んできたという。
 「私が持っているホテルのポイントを全部あげます」
 「僕の手持ちのエアライン・マイルを飛行機のチケット購入に役立ててください」
 「最終予選を受ける際は、是非、我が家に寝泊まりしてください。食事も洗濯も送迎も全部、任せてください」
 「僕がキャディを無償で引き受けます。そうすれば、キャディ代は浮くでしょう?」
 さらには「最終予選の会場へ事前に行って練習ラウンドを行なう数日間の旅を私がプレゼントします」というオファーもあった。
 こんな熱いメッセージを添えて寄付してくれた人々もいた。
 「私の子供もアスペルガー症候群と診断され、学校で友達となかなか馴染めず、苦労が絶えない日々です。でも、ヘイリーの頑張りが私たちに勇気と希望をもたらしてくれました」

いつかは恩返し

 何が必要とされているのか、どうしたら役に立つことができるのかを人々が親身になって考えた上で手を差し延べていることが伝わってくる。
 アマチュアだった当時のムーアに惜しみない声援が送られていたというのに、プロになった彼女をスポンサードしようという企業がゼロだったという事実は、シビアでクールな現実を物語っていたが、それでも世の中は、案外、捨てたもんじゃない。ムーアに寄せられたたくさんのオファーは、スポンサー契約や金銭そのもの以外にもプロゴルファーをサポートする方法がいろいろあることを私たちに教えてくれたように思う。

 いつしかムーアの「gofundme」は目標額の3万ドルを上回り、そのおかげでムーアは最終予選に挑んで見事突破。晴れてLPGAメンバーになり、冒頭の大会でプロデビューを果たした。
 初日に3位タイで発進したものの、残念ながら3日目に崩れて予選落ちとなったが、セカンドカット(二段階カット)による予選落ちゆえ、賞金は授けられた。
 生まれて初めてムーアが稼いだ賞金は5494ドル。決して高額ではなかったが、彼女は目を輝かせながら、こう言った。
 「これからも自分のゴルフをやっていきたい。諦めなければ夢は必ず叶う。いつかは人々に恩返しができるプロになりたい。社会に貢献できるプロに必ずなりたい」
 ムーアのストーリーは、これからも続いていくことだろう。素敵なネバー・エンディング・ストーリーは、すでに人々を勇気づけ、社会に貢献しているのではないだろうか。