―― 手術の技術をどのように向上させていかれたのですか。
高橋 やはり見ることです。見ると言っても、手取り足取りではなく、同じような動きができるかどうかを目で見て盗むことですね。チームの一員として、一緒に手術に立ち会う中で、イメージだけではなく、間近で見て、今日は誰だれ先生のやり方、別の日はほかの先生のやり方というように、良いと思う方を盗んで、私自身の新しいやり方にしていきました。
―― 昔の方が指導医の先生のやり方の癖みたいなものはありましたか。
高橋 ありました。先生によって手術のやり方が違う部分があるんですね。それでこの先生はこういう部分が非常に良い、ここはちょっと苦手かもしれない、この先生はここを盗んでもいいかなというように、一つ一つの技術を少しずつ自分のものにしていく形での研修をしました。
―― その中で印象に残っている先生はいらっしゃいますか。
高橋 北村正次先生です。胃を専門にされていた先生ですが、胃がんの手術で大網切除術を行うときの鋏の使い方が印象的でした。非常に柔らかいタッチでありながら、シャープでもありました。
―― 大腸外科に決めようと思われたのはいつですか。
高橋 最終的に決めたのは卒後5年目が終わる頃です。3年間の研修が終わって、その後は研究員という形で駒込病院に残っていました。実は3年の間は大腸はあまりやっていなかったんですよ。どちらかと言うと、胃や乳腺をかなりやっていました。大腸はきつい、汚い、臭いの3Kと呼ばれる領域だったんです(笑)。当時は学問的な部分を含めて、大腸がんに対する治療自体がまだきちんと確立できていませんでした。
―― 大腸がんの患者さんは今の方が多いですよね。
高橋 今は多いです。昔は胃がんの方が多かったですね。大腸にはまだ分からない部分が多いし、ずっとどうしようかと悩んでいましたが、たまたま、その頃にほかの病院から有名な先生がいらっしゃったんです。森武生先生と高橋孝先生というお二方との出会いが大きかったです。
―― お二人からどのようなご指導を受けられたのですか。
高橋 森先生からは患者さんの管理、診断、手術など、全てを任せていただきましたが、常に「考えろ」と言われていました。厳しかったですが、任せられたことで成長できました。高橋先生は臨床解剖に詳しい先生で、手術中でも疑問に思ったことはよく質問させていただいていました。あるとき、下部進行直腸がんの手術で、Denonvillier’s筋膜が骨盤側壁とどのように繋がっているのか分からなかったので、「ここはどうなっているのですか」と質問したら、「それは分かっていないんだ」とおっしゃられたのです。世界的に有名な先生でも分からないことがあるのだと思いました。そして、「この部分はまだ誰も解明していない。臨床解剖は手術を経験して解明していくことでできあがる」と言ってくださいました。当時は大腸がんの治療は発展途上で、日本では神経温存や肛門のことに関して、まだきちんとした形で確立されておらず、直腸がんに対する自律神経温存側方郭清術なども体系化されていなかったんですね。高橋先生はそれを標準的な治療になるまで高められたんですが、その発祥の地が実はここ駒込病院なんです。
―― 駒込病院の大腸外科はそのような歴史があったのですね。
高橋 2000年代の初めには日本の標準的な治療となり、その後の腹腔鏡手術にも発展していくのですが、まだ治療として確固たるものができてない状態だったときがあり、その頃は胃がんをやろうかと迷っていました。しかし、胃は既に色々と研究し尽くされていました。私としては研究という側面も含めて、それを臨床に役立てられるようにしたいと考えたんです。そうなると大腸は面白いなと思い、大腸の分野に進むことにしました。
―― 大腸外科のガイドラインが大きく変わっていった時代の第一線にいらしたんですね。