講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、NY、ロサンゼルスを経て、現在は日本が拠点。

 米女子ツアーのLPGAでプレーしている42歳の米国人選手、アンジェラ・スタンフォードをご存じだろうか。
 テキサス州フォートワースで生まれ育ったスタンフォードは、ジュニア時代に数々のタイトルを獲得し、テキサス・クリスチャン大学を経て、2000年にプロ転向した。
 1年間、下部ツアーで腕を磨き、2001年から米LPGAに参戦開始。2003年にショップライトLPGAクラシックで早々に初優勝を挙げ、順風満帆なツアープロ生活を送っていた。
 「プロゴルファーになったら社会の役に立ちたい」
 アマチュア時代から、いつもそう考えていたスタンフォードは、2006年に自身の名を冠したアンジェラ・スタンフォード財団を設立。そして、「あなたの人生を輝かせるチャリティ・トーナメント」を地元フォートワースで開催し、大きな達成感を感じたそうだ。
 しかし、彼女はその後、自分が行なうべき社会貢献はチャリティ・トーナメント開催以外にも、たくさんあることに気付いたという。そして今、彼女は、社会のために尽くすことが「プロゴルファーとしての私の最大の役割であり、意義である」と感じている。

スタンフォード自身も成長

 自身の財団を創設し、毎年1度のチャリティ・トーナメントを開催し始めたとはいえ、最初のころのスタンフォードは、「それだけ」で満足し、充実感に浸っていた。 本業のゴルフそのものも、2008年には年間2勝、2009年にも1勝を挙げるなど、すこぶる順調だった。

 そんな彼女に転機が訪れたのは、通算5勝目を挙げた2012年だった。母親ナンが乳がんと診断され、スタンフォードは母親の闘病生活を支えながら、その大変さ、壮絶さを身を持って知った。
 以後、スタンフォードは、乳がんと闘っている人々、家族が闘病生活を送っている人々を支えたいと思うようになった。家族ががんとの闘病生活をしている環境下、学校に行く経済的余裕がない子どもたちのための奨学金制度も創設。すると、苦境を訴え、救いを求める手紙が次々に届いたそうだ。
 「母を乳がんで失いました・・・」
 最初に届いた手紙を読み始めたスタンフォードは「胸が苦しくなり、涙が溢れて途中で読めなくなりました」と振り返った。
 「でも、ありがたいことに、私の財団には私より年上のスタッフが何人も働いてくれていて、そういう人生の先輩が『あなたの名を冠してスカラーシップも財団もやっていて、子どもたちや人々は、あなたを頼って手紙を送ってくるのだから、どんなに苦しくても、あなたは最後まで手紙を読む責任がある』と言ってくれました。そういうスタッフの存在が私を支えてくれました」
 そうやってスタンフォード自身、財団のスタッフや人々とともに成長し、人間として強くなっていった。

苦境下の子どもたちに奨学金

 スタンフォードに寄せられた手紙の内容をいくつか紹介すると、たとえばマジソン・コナンツという少女は、ハイスクールに通っていたとき、母親が乳がんのステージ4と診断され、ほぼ同じタイミングで父親が失業。一家の収入は皆無となった上、母親のがん治療には莫大なお金がかかると知り、「大学進学を諦めたくないけど、諦めて働く以外に道はないのでしょうか?」と尋ねてきたという。
 スタンフォードは彼女に奨学金を提供し、テキサス州内の地元のコミュニティ・カレッジへ入学する手続きを手伝った。
 コナンツは2年後、コミュニティ・カレッジを終えて、州内のダラス・バプティスト大学へ編入。今では立派なデータ・ディベロッパーとして働いているそうだ。
 メガン・クロナンという少女も16歳のときに母親が乳がんと診断され、闘病生活を支えながら、自身の将来に不安を覚えていた。
 「そんなとき、アンジェラ・スタンフォード財団から奨学金をいただいたことは、私の心の平和と平穏になってくれました。そのおかげで私は大学へ進学することができました」

ネバーギブアップの精神

 がんと闘い、向き合う子供たちや人々を精力的にサポートしていたスタンフォードに再び試練が訪れたのは2018年だった。
 2012年に乳がんと診断された母親ナンは、すぐに手術を受け、すっかり元気になっていたのだが、2018年の定期健診で再発が発見された。
 そのときスタンフォードは、フランスで開催されるメジャー大会のエビアン選手権出場を控えており、出場しようか、欠場して母親のそばについていようか、迷ったそうだ。
 母親ナンは「行っておいで」と娘を送り出した。体調が悪すぎてテレビ観戦もままならない状態だったが、スタンフォードが優勝争いをしていることを周囲から聞かされ、「神様、娘にチャンスを授けてください」とベッドの中で祈っていたという。
 そして、母の祈りが通じたのだろう。スタンフォードは40歳(当時)にしてメジャー初勝利を挙げ、通算6勝目を母国で待つ母に捧げた。
 ネバーギブアップの精神を持ち続ければ、願いは叶うということを、このときスタンフォード母子は、あらためて知り、その幸運に感謝したのだそうだ。

引退後も続けられるよう体制を整備

 それからも、スタンフォードは手紙をもらっては救いの手を差し延べ続けている。
 タイ・ウォッシュバーンくんは、わずか9歳にして右目を摘出する手術を受け、同時に、ほお骨や上側の歯も失ったそうだ。
 「でも、僕は手術を受けられたことに感謝しています。顔の一部を失ったけど、手術のおかげで、僕のスピリッツは砕けることなく残っているのだから」
 その手紙を受け取って以来、スタンフォードはその少年を励まし続けてきた。気丈に前向きに生き、成長していった少年に彼女は奨学金もオファーし、ウォッシュバーンくんは今では元気に大学生活を楽しんでいる。
 これまでスタンフォードの奨学金で大学に進学した学生は合計46人。と提供した奨学金は総計24万6500ドルだが、これは1人の学生の学費をフルカバーできる金額には至らず、4年間の学費の一部を援助するレベルにとどまっているのだそうだ。
 「いつかは4年間の学費全額をフルカバーできるだけの奨学金を出してあげたい、私がプロゴルフの世界から引退した後も奨学金制度やチャリティ・トーナメントを続けていけるよう、今から体制を整えていきたいです」
 それが、プロゴルファーとしての自分の夢であり、生きる意味なのだと言い切るスタンフォードは、誰よりも強く優しいプロゴルファーだと私は思う。