講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、ニューヨークを経て、現在はロサンゼルス在住。

今年4月に開催された米女子ツアー(LPGA)のJMイーグルLA選手権は、今季ルーキーの岩井明愛が優勝争いに絡み、日本のファンの期待を膨らませた。残念ながら岩井は初優勝には一打及ばず、勝利したのはスウェーデン出身のイングリッド・リンドブランドだった。

そんな優勝争いの熱戦には加わることができず、リンドブランドから5打差の9位タイに終わったものの、安堵の表情を浮かべていたのは、オーストラリア出身の28歳、ハナ・グリーンだった。

この大会の開催コースとなったロサンゼルス近郊のエル・カバレロCCは、大規模な山火事で甚大な被害を受けたパシフィック・パリセーズから北へわずか20マイルに位置しているため、今大会とエル・カバレロCCの関係者は、被害を受けた人々や地域のことを自分事のように感じて心を痛めていた。

大会スポンサーのJMイーグルとプラストプロは、被災者を支援する財団へ、すぐさま650万ドル(約9億2600万円)を寄付。さらに、144名の大会出場選手全員の宿泊費を無料にしたほか、山火事の際に消火活動や救助活動に携わった消防や警察、軍隊、医療関係者とその家族に無料チケットを配った。

出場選手たちの中には、火事の際に現場で消化活動を行なった消防署を慰問し、消防士たちを労った選手も数人いた。

そして、グリーンは今大会の開幕前にSNSで、こんな宣言をした。

「私はこの大会でバーディーを1つ獲るたびに500ドル、イーグルを1つ獲るたびに1000ドルを、被災者と被災地のために寄付します」。

たった一人で、このチャリティ活動を行なうことを即決意し、即実行。
その様子は「さすが、ハナ・グリーンだ」と、あらためて感心させられた。

「無事にできて良かった」

グリーンはオーストラリアのパース出身だ。アマチュア時代から母国のタイトルを次々に獲得し、2015年にはオーストラリアの女子アマチュア選手としては最高峰と言われるビクトリアン女子アマチュア選手権を制した。

そうした功績が認められたグリーンには、女子ゴルフ界のレジェンドで、同じオーストラリア出身のカリー・ウエブが主宰するカリー・ウエブ・スカラーシップが授けられた。

ウエブから認められたこと、奨学金を得たことで経済的にとても助かったこと。アマチュア時代のそうした経験はグリーンの胸にしっかりと刻み込まれ、それがグリーンのその後の生きる目標につながっていった。

2016年にプロ転向。2017年は下部ツアーのエプソンツアーで腕を磨き、同ツアーのルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。
2018年からは一軍に当たるLPGAで戦い始め、同ツアーでもルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。

そして2019年にメジャー大会のKPMG全米女子プロを制し、いきなり初優勝がメジャー優勝となった。

2020年からは、しばし勝利から遠ざかったが、2023年にJMイーグルLA選手権を制して4年ぶりの復活優勝を遂げると、昨年は同大会連覇を含め、シーズン3勝をマークするなど大ブレークした。

今年はJMイーグルLA選手権の3連覇こそ逃したが、単独で「やります!」と宣言した山火事被災者と被災地のためのチャリティ活動が「無事にできて本当に良かった」と胸を撫で下ろした。

優勝争いには絡めなかったが、それでもグリーンが笑顔を見せていた背景には、そんな事情があった。

1人でも多くの少女にゴルフを!

「大会が始まる前、今年のこのコースで、どのぐらいバーディーとイーグルが取れるかが読めず、この方法で、果たして十分な寄付ができるのかどうかが、とても不安でした」。

4日間の戦いを終えたグリーンは、正直に胸の内をそう明かしていた。

最終的に彼女が獲得したのは、1イーグル、19バーディー。寄付する金額は1万500ドルとなった。

「(イーグルやバーディーが)もっと獲れたかもしれないと思う気持ちもありますが、でも1万ドルを超えるお金を寄付することができて本当に良かった」。

かつてカリー・ウエブ・スカラーシップを得て助けられたグリーンは、2023年にはオーストラリア・ゴルフ財団のジュニア・ガールズ・スカラーシップを通じて、金額は明かされていないが、5ケタ(1万ドル以上)の寄付を行なった。

「ゴルフを生業としているプロゴルファーとして、あらゆるレベルのゴルファーの笑顔を見たいと願っています」

しかし、そう語ったグリーンには、「ガールズ(少女)のゴルフ」に対しては、特別な想いがある。

「私がゴルフを始めたころは、所属していたゴルフクラブには私以外にガールズは1人もいませんでした。だから私は、プロを目指すか、アマチュアとして楽しむかは問わず、1人でも多くの少女にゴルフに親しんでもらいたい。そのためのアンバサダーになることができたら、それは何よりの喜びです」

グリーンは寄付を行なっただけではなく、実際に大勢のガールズゴルファーと会って、話をする機会も積極的に創出した。

そして、翌2024年には、ゴルフ・オーストラリアのアンバサダーに就任。財団からのスカラーシップを授かったガールズは、2023年は2000人だったが、2024年には3000人を超え、「2030年には1万人にすることを目指しています。

グリーンは米女子ゴルフ界で活躍するトッププレーヤーだが、同時に彼女はオーストラリアの少女たちとゴルフをつなぐキューピッドであり、母国のゴルフ界と世界をつなぐアンバサダーでもある。

そんなグリーンが、選手としても大成功を収め、チャリティ大使として大勢の人々の役に立ってくれることを、私はひそかに応援している。