講師 舩越 園子
フリーライター
東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。
在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。
『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。
アトランタ、フロリダ、ニューヨークを経て、現在はロサンゼルス在住。
世界のゴルフ界には、国や大陸、地域の名誉をかけて戦うチーム戦がある。1つは、米国と欧州が対戦するライダーカップ。もう1つは、米国と世界選抜(欧州以外)の対抗戦であるプレジデンツカップ。両者は1年ごとに交互に開催されている。
どちらも名誉のために戦う大会ゆえに、そもそもは「賞金は支払われない」ことが大前提だった。しかし、実際は1999年に一部の選手たちから「僕らが戦って盛り上げているライダーカップの収益は一体どこへ行っているんだ?僕たち選手は経費として支給されている5000ドル以上のお金を受け取って然るべきだ」という声が上がって以来、チームメンバー全員に20万ドルの給付金が支払われている。
この給付金は、受け取った各々の選手が自分の意思で選んだ団体等へ「寄付すべし」とされている「チャリティ給付金」だ。誰がどんな団体へ寄付したかといった内訳も公開されてきた。
プレジデンツカップも同様に出場選手に20万ドルの給付金を払い、選手それぞれの裁量に任せて寄付を行なってきた。
だが、カナダのモントリオールで開催された今年のプレジデンツカップでは給付金が一気に25万ドルに引き上げられ、「寄付すべし」という義務は、いつの間にか取り払われていた。
そのまま懐に入れれば、給付金は賞金と化したことになる。とはいえ、選手の多くは、これまで通り、自分が選んだ団体へ寄付をしていた。
米国チームの副キャプテンを務めたスチュワート・シンクも、その1人。アラバマ出身で大学はジョージア州アトランタにあるジョージア工科大学へ進学。卒業後もアトランタに住み続けているシンクは、「第2の故郷」アトランタ市内の新生児集中治療室を備えた小児病院や乳がんの治療のための医療施設へ給付金を全額寄付した。
「私の子どもたちも妻も、そうした医療施設に大変お世話になった。プレジデンツカップの根本はチャリティ・イベントであり、本当の勝者は、それぞれの選手の地元のコミュニティと開催地モントリオールであるべきだ。そうすること、そうできることこそが、ゴルフの本当の素晴らしさだ」
優勝したのに脇役
ジョージア工科大学ゴルフ部時代のシンクは全米屈指のトップアマとして大活躍していた。そのシンクが大学内で知り合ったリサと在学中に結婚したことは周囲を大いに驚かせたそうだが、幸せな結婚生活はシンクのゴルフにプラスの作用をもたらしたようだ。
卒業後、すぐにプロ転向したシンクは、下部ツアーを経て、1997年からPGAツアー参戦を開始。その年、すぐに初優勝を挙げて順調にキャリアを築き始めた。
2000年に2勝目、2004年には年間2勝を達成。2008年にも勝利して通算5勝目を飾ったが、メジャー大会では惜敗が続き、「メジャー優勝の無いグッドプレーヤー」と呼ばれていた。
そんなシンクが、ついに悲願のメジャー優勝を挙げたのが2009年の全英オープンだった。しかし、その大会は「シンクが勝った全英オープン」ではなく、「トム・ワトソンが惜敗した全英オープン」として報じられた。
あの年の全英オープンの舞台はターンベリーだった。スコットランドのリンクスコースをこよなく愛するワトソンは、あの大会で59歳にして優勝争いに絡み、大会史上最年長優勝に迫った。ワトソンにとっては、メジャー優勝を挙げるラストチャンスだろうと思われ、世界中のファンがワトソン勝利に期待を寄せていた。
そして、最終日の優勝争いはワトソンとシンクのプレーオフにもつれ込んだ。しかし、勝利したのはワトソンではなく、シンクだった。
世界のメディアの大半は「シンク優勝」ではなく「ワトソン惜敗」と報じ、記事に添えられた写真も、明らかに主役はワトソンで、シンクは優勝者だというのに、その傍らに小さく佇む脇役という具合だった。
「みんながファミリーみたい」
その後、シンクは勝利からは遠ざかったものの、安定した成績を保ちながらPGAツアーで元気に戦い続けていた。
しかし、2016年の春、突然、こんな発表をした。
「しばらくツアーを欠場する」
愛妻リサが乳がんと診断されたためだった。そんなシンクに一番に電話をかけてきたのは、自らも乳がんを経験したフィル・ミケルソンの妻エイミーだった。そして、ツアー選手、キャディ、その家族、メディア関係者など、さまざまな立場の人々がシンク夫妻にエールを送った。
「まるで、みんながファミリーみたいに感じられて心強かった」
愛妻リサに乳がんを告げる医師からの電話が入ったその日は、シンクがそれまでの20年超のツアー生活において初めて試合のエントリーをし忘れて、珍しく自宅に居た日だったという。
震えるような宣告を受けたリサの傍らに、シンクが居合わせたことは「そうなるべくして、そうなった気がする」と、シンクは後に振り返った。
乳がん治療を終えたリサがすっかり元気になってからは、シンクのゴルフも上向き、「あの全英オープン」以来、2020年に初めて1勝を挙げると、2021年にも勝利を飾り、通算8勝目をマークした。
50歳の誕生日を迎えた2023年からはシニアのチャンピオンズツアー参戦も開始。2024年に初優勝を挙げ、充実したシニアライフをエンジョイしている。
自分が幸せであることを実感すればするほど、「健康であること、生きていること、ゴルフができることへの感謝の念は膨らむばかりだ」と、シンクは言う。
だからこそ、プレジデンツカップで支払われた給付金は、賞金として受け取ることもできたが、かつてお世話になった医療施設へ迷わず寄付したのだそうだ。
「感謝」から自ずと生まれたシンクのチャリティ精神は、多くの人々を助けることにつながり、そこにまた別の「感謝」が生まれる。
まさに、社会の「みんながファミリーみたい」である。