記事・コラム 2024.04.15

ゴルフコラム

【第82回】「破竹」のナップが願うこと

講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、ニューヨークを経て、現在はロサンゼルス在住。

第82回

今年2月に開催されたPGAツアーのメキシコ・オープンで、夢にまで見た初優勝を挙げたのは、29歳の米国人、ジェイク・ナップという新人選手だった。

ナップは最終日を単独首位で迎えたが、緊張のせいか、出だしから苦戦気味だった。しかし、我慢を重ねた末に勢いを取り戻し、2位に2打差で勝利した。

この日のナップのゴルフは前日までとは打って変わってショットが乱れていたが、何が起ころうとも黙々とクラブを振り、どこからでも寄せてパーを拾い、チャンス到来とあれば、バーディーパットを捻じ込んだ彼の執拗な戦いぶりは、彼自身の生きざまの反映だったように感じられた。

「竹」のごとく

ナップはカリフォルニア州ロサンゼルス近郊のオレンジ・カウンティにあるコスタ・メサ市で生まれ育った。

幼少時代は、やはりロサンゼルス近郊のゴルフメッカであるパーム・スプリングスに住んでいた祖父の家を訪ね、「祖父と一緒にゴルフ場に行くことが何よりの楽しみだった」。

ゴルフそのものはもちろん楽しかったそうだが、幼いころのナップ少年は「自分がカートを運転できるようになる日をいつも心待ちにしていた」という。

祖父とゴルフ場で過ごした日々を経て、ナップの腕前はみるみる向上。「天才的なジュニアゴルファー」と呼ばれるようになり、地元のハイスクール時代に「58」という驚異的スコアをマークしたこともあったそうだ。

AJGA(全米ジュニアゴルフ協会)のツアーを経て、名門UCLAへ進み、カレッジゴルフでも大活躍。そして2016年にプロ転向。そこまでは順風満帆なゴルフ人生だった。

しかし、その先に待っていたのは、苦難続きのイバラの道だった。

草の根のミニツアーやPGAツアー・カナダ、下部ツアーのコーンフェリーツアーなどを転々としながら腕を磨き、PGAツアー到達を目指したが、成績は一向に上がらず、先行きはどんどん怪しくなっていった。

2021年には、あらゆるツアーの出場資格を失い、貯金も底を尽いた。当面はアルバイトをしながら転戦費用と生活費を稼ぎ、ゴルフクラブを握るのは、その合間のわずかな時間だけ。そんな苦境に直面したナップは、しかし、逃げることなく、真っ向から現実に向き合った。

「地元コスタ・メサ市内のナイトクラブでセキュリティ(警備員)の仕事をした。ハロウィンやニューイヤー・イヴには大勢の酔客が殺到し、人々にケガをさせずに制止するのは、とても大変だった」

その仕事を8か月間も続けていた間、ナップが心の中で呪文のように唱えていたのは、幼いころ、自宅近くのゴルフ場に勤めていた高齢のクラブプロから聞かされた「竹」の謂われだった。

「竹は、まるで眠っているかのように何の変化も見られないまま、長い間、そこにある。でも、ある日、突然、ぐんぐん伸び始め、数週間のうちに10メートルぐらい伸びる」

ナイトクラブでお金を稼いではミニツアーの大会に挑み、わずかな賞金を得る生活は苦しかったそうだが、「祖父が毎日のようにメールをくれて励ましてくれた」。

昨年の春、大好きだった祖父が、がんで亡くなり、ナップは祖父のイニシャルをタトゥーにして右腕に刻んだ。そのころから彼は、まるで祖父の魂に押し上げられたかのように下部ツアーで好成績を重ね、ついに2024年のPGAツアー出場資格を手に入れた。

29歳にしてルーキーは、若年化に拍手がかかる昨今のゴルフ界では「遅咲き」だった。

だが、デビューからわずか9試合目のメキシコ・オープンで初優勝を挙げ、幼いころから夢見てきたマスターズの出場資格を早々に手に入れたことは、新人としては破格の「スピード出世」と呼んでいい。「竹」の謂われを唱えながら必死に頑張ってきたナップの「破竹の勢い」だった。

子どもたちをゴルフで導きたい

ナップには、PGAツアーのチャンピオンとなり、プロゴルファーとして成功する以前から、ずっと心がけてきたことがあると言う。

それは、生まれ育ったコスタ・メサの子どもたちにスポーツを推奨し、スポーツを通じて人間教育、キャリア育成、生涯教育を行ない、人生を良き方向へ導くという活動の手助けをすることだ。

コスタ・メサの街には「コスタ・メサ・ユナイテッド」という慈善団体がある。1991年にジム・スコットという人物が地元のハイスクールにサッカー場を創設することを願って、まず100ドルを寄付した。

その寄付が発端となって地元の人々から次々に寄付が集まり、ハイスクールにサッカー場が完成。そして「スコット氏が撒いた種が実となり、コスタ・メサ・ユナイテッドが創設された」と、同団体のHPに記されている。

ナップの母親ジェニファーは、このコスタ・メサ・ユナイテッドの理事を務めており、長男ライアンと次男のナップは、どちらもコスタ・メサ・ユナイテッドの支援を受けながらジュニアゴルフの世界で伸び伸びとクラブを振ってきたのだそうだ。

兄ライアンはカリフォルニア大学アーバイン校のゴルフ部で活躍したが、卒業後は金融界へ進んだ。

弟ナップはUCLAを卒業後、ゴルフの道に進み、紆余曲折を経て、ついにPGAツアー選手となり、チャンピオンとなり、この4月にはオーガスタ・ナショナルでクラブを振る「名手」となった。

ようやく成功を収めたナップは、「祖父のおかげで僕にはゴルフがある。僕はゴルフに育てられた」と心から感謝している。

そして、未来を担う子どもたちや若者にもスポーツを通じて、そしてゴルフを通じて、健やかに育ってほしいと願い、コスタ・メサ・ユナイテッドの活動に力を注ぐことで、今もこれからも「社会に貢献し続けたい」と笑顔で語っている。