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石井先生は2007年に石巻赤十字病院の医療社会部長になられ、2011年に東日本大震災が起きました。

石井:震災が起きた当時は病院そのものの対応は石橋先生で、こちらからアウトリーチしていく地域への対応は僕、のような役割分担をしました。石橋先生は当時、救急部の部長でいらっしゃって、その上に金田先生がどーんと構えておられました。
全国から集まってきた100人ぐらいの医療関係者を前にしたミーティングで、私が偉そうなことを言うと、金田先生が「お前、生意気なことを言うなよ」などと後ろから怒っておられました。

金田:俺は怒ってないよ。

石井:いや、怒ってましたよ。先生が足を怪我されてもミーティングに参加された時には「お前、言い方を考えろ」とかおっしゃったこともあります。

金田:あまり文句を言ったつもりはないが、そうだったのか。覚えていない。

石井:そのほうが良かったです。ミーティングが締まった感じになりました。

金田:ともかく、今、石井くんが言ってくれたように、院内は石橋がほとんどまとめてくれたし、院外に関しては外から本当に多くの方が来てくれて、色々な対応をしていったわけですが、それを石井くん一人ではなく、赤十字やDMATの方々がよくサポートしてくれました。2週間ぐらいで、そういう組織を作り上げたんだよね。

石井:そうですね。

金田:私はそれをすごいなあと思いながら見ていた。だから文句なんて言うところがなかったはずなんだけど、言っていたんだね(笑)。

石井:合同救護チームを作る前に、2階の向かって右側の会議室でミーティングをしていた頃ですよ。まだちょっと混沌としていた時期でした。

東日本大震災での合同救護チームによる避難所のアセスメントは日本の災害医療史上、空前のものだったと言われていますが、このアセスメントを重視するべきだとおっしゃったのは金田先生なのですか。

金田:そういう主導的なことをやった覚えは全くありません。とにかく石井と石橋に任せておけば大丈夫だと思っていました。ただ内部でちょっと邪魔をする者がいたので、それを押さえつけるのが私の役割でした。

石井:恐縮です。金田先生が主導されたのは渡波小学校の避難所への救護チーム派遣ですね。震災後、16の救護チームが300カ所の避難所を回り、初期段階でのアセスメントを3月17日からの3日間で終えました。私自身も問題がありそうな避難所などの現場に行きましたが、中でも渡波地区の避難所だった渡波小学校の衛生状態が劣悪でした。
一方で、石巻赤十字病院には震災発生から数日が経っても安否が確認できない職員が2人おり、2人とも看護師だったのですが、実はその2人はOTCの薬品などをかき集めて、渡波小学校で傷病者の手当をしていたことが3月15日に分かりました。
そこに金田先生も視察に行かれ、「彼女たちは『救護チームが定期的に派遣されないかぎり、渡波小に残って救護活動を続ける』と言っている。だから俺は『必ず救護チームの派遣は続ける』と約束した。渡波小をちゃんと支援しろよ。これは命令だぞ」とおっしゃいました。それまでは「石井に任せる」だったのに、このときばかりは違いましたね。

金田:あれは看護師2人がやむを得ず渡波小に1週間ぐらいいて、疲れ果てて「応援をもらえないですか」と言われたので、「分かった。何とかする」と言った。それで「救護チームを出せ」と言ったら、「あの地域は治安が悪くなっていて、殺人の危険すらあるという話もあるから、出せない」と言われた。それで俺は「やかましい」と怒り、「だったら、俺が院内のスタッフを連れていくからいい」とケツをまくった記憶があるね。

石井:金田先生の常套手段です。「こうしろ」と言われて、私たちが「えー」とか「うー」とか言うと、お怒りになってすぐ「じゃあいい。分かった。俺がやる」とおっしゃるので、私たちが仕方なく「分かりました。僕たちがやります」となります。ダチョウ倶楽部のコントみたいなもので、いつもそうなんです(笑)。

金田:看護師2人に「代わりを出す」と言った約束を守らないと、単に男が廃ると思ったという、私の見栄だけの話です。治安が悪いから出せないと言うから、治安が悪いなら俺がいくしかなかろうと言っただけの話だよ。

石井:そのときの映像は「NHKスペシャル」にも出ています。

2011年7月2日に放送されたNHKスペシャル「果てなき苦闘 巨大津波 医師たちの記録」ですね。

金田:ディレクターは私の後ろについてきていたけど、ばっちり撮っていたんだね。

石井:NHKの青山浩平さんという優秀なディレクターでした。

金田:面白い男だった。そして渡波地区の実際の治安は悪くなかったんだよね。

石井:悪くありませんでした。噂だけでしたね。でも、その噂を確認するために、3月17日の夜、災害救護係長の高橋邦治くんと臨床工学技士の魚住拓也くんと一緒に石巻警察署に行ったんです。そしたら石巻警察署の生活安全課長から「こちらでも定期的に巡回していますが、殺人などはありません。
本当に治安が悪化しているのであれば、既にギャング団がいるはずです。それがいないのは何よりの証拠ですし、もともと渡波は人情が厚く、皆で助け合っている地区であることは先生もご存じでしょう」と言われ、「すみませんでした」と謝りました。

金田:私の立場としては治安が悪かろうが、良かろうが、救護チームを出さざるをえないというものだった。

石井:折角の機会なので、石橋先生のことも申し上げますね。石橋先生がミーティングで「満床などにかかわらず、傷病者については全例を応需します」と言ってくれたんです。ミーティングには全国から医療関係者が来ていましたから、それがとても良かったです。それで求心力を維持できたと思っています。
例えば、関東あたりから来た救護チームが崩れた家で具合の悪い人を見つけて赤十字病院に連れてきたとしても、満床だから無理と言われたら途方に暮れますよね。それが一切、なかったんです。

素晴らしいですね。

石井:今、その考え方が標準化されつつあります。災害拠点病院では実際の急患を受け入れるキャパシティの3倍から5倍ぐらいの人数はとりあえず1回は引き受けましょうとなっています。その先駆けを石橋先生にやってもらったと、私は全国ほうぼうで言っていますよ。

石橋:震災に関わらず、そういう救急でありたいなと考えていたので、「あ、これはチャンスが来たから、やろう」と思っただけです。でも今、同じことを言うと顰蹙を買うでしょうね(笑)。今も当院には救急を受ける文化があり、応需率も99%になっているのですが、それでも「ベッドがないのに、何で受けるの」と言われることもあります。
勤務する医師もどんどん代わりますし、特に若い人にとっては「何で」となるようです。私としては「まあ、そうだよね」と言いながら、受けるようにしています。

石井:石巻赤十字病院が初期研修で人気が出たのはそういう文化があるからではないかと思います。

石井 正教授

東北大学 卒後研修センター

1963年に東京都世田谷区で生まれる。1989年に東北大学を卒業後、公立気仙沼総合病院(現 気仙沼市立病院)で研修医となる。1992年に東北大学第二外科(現 先進外科学)に入局する。2002年に石巻赤十字病院第一外科部長に就任する。2007年に石巻赤十字病院医療社会事業部長を兼任し、外科勤務の一方で、災害医療に携わる。2011年2月に宮城県から災害医療コーディネーターを委嘱される。2011年3月に東日本大震災に遭い、宮城県災害医療コーディネーターとして、石巻医療圏の医療救護活動を統括する。2012年10月に東北大学病院総合地域医療教育支援部教授に就任する。現在は卒後研修センター副センター長、総合診療科科長、漢方内科科長を兼任する。

日本外科学会外科専門医・指導医、日本消化器外科学会消化器外科専門医・指導医、日本プライマリ・ケア連合学会プライマリ・ケア認定医・指導医、社会医学系専門医・指導医など。

金田 巌名誉院長

石巻赤十字病院

1947年に山形県西置賜郡白鷹町で生まれる。1972年に東北大学を卒業後、研修医を経て、東北大学第二外科に入局する。1983年石巻赤十字病院に外科部長として着任する。2012年に石巻赤十字病院院長に就任する。2018年3月に石巻赤十字病院院長を退任する。現在は石巻赤十字病院で非常勤医師を務めている。

石橋 悟院長

石巻赤十字病院

1967年に青森県八戸市で生まれる。1991年に旭川医科大学を卒業後、古川市立病院(現 大崎市民病院)で研修を行う。1994年に東北大学第二外科に入局する。2001年に石巻赤十字病院小児外科に部長として着任する。2006年に石巻赤十字病院医療技術部長に就任する。2007年に石巻赤十字病院救急部長兼医療技術部長に就任する。2011年に石巻赤十字病院救命救急センター長兼医療技術部長に就任する。2014年に石巻赤十字病院副院長兼救命救急センター長兼医療技術部長に就任する。2018年に石巻赤十字病院院長に就任する。

臨床研修協議会臨床研修プログラム責任者、臨床研修指導医、宮城県難病指定医、宮城県小児慢性特定疾病指定医、宮城県身体障害者福祉法第15条第1項指定医師など。