医療ニュース 2024.10.30

「何も分からなくなる」違うよ…当事者グループ発足10年、認知症のリアルを発信

 認知症の人たちなどで作る「日本認知症本人ワーキンググループ」(東京)が今月、発足から10年を迎えた。認知症になっても希望と尊厳をもって暮らせる社会の実現を掲げ、当事者として思いを発信してきた。認知症の人の意見を国や自治体の施策に取り入れる動きも広がり、「何も分からなくなる」とされた従来のイメージは変わりつつある。(小沼聖実)

 「認知症は恥ずかしくない、隠す必要はないんだと、当事者同士で話すことで肩の荷が下りた」「地域の人が変わらずに接してくれるから、安心して生活できる」

 23日に東京都内で開かれた10周年の記念イベントには、オンラインを含めて40人以上の認知症の人と、家族ら約410人が参加し、当事者8人が活動を振り返った。

 その一人、仙台市の丹野智文さん(50)は若年性認知症と診断を受けて11年。各地の講演会で積極的に発言してきたが、最初は医療や福祉関係の参加者ばかりだったという。「今は、多くの当事者や家族が来られるようになった。診断を受けてすぐ、SNSで相談をくれる人もいる。社会は変わった」と感慨深げに話した。

 グループは2014年10月、代表理事の藤田和子さん(63)らが設立した。「認知症の人が前向きに生きようとする姿が、これまでのイメージを 払拭ふっしょく してきた」と振り返る。

 鳥取県で看護師をしながら3人の娘を育てていた45歳の頃、初期のアルツハイマー病と診断された。朝、食べたものを忘れたり、娘の外出を見送った後、起こそうと部屋に行ったり――。職場に迷惑をかけると思い、仕事を辞めた。

 認知症のことを調べると、「何も分からなくなる」といった暗い情報ばかり。認知症の人にどう接したらいいか、どう「対策」すればいいかという、支援者目線の話が中心だと感じた。

 実際には、全てができなくなったわけでも、いつもできないわけでもない。「診断後も私は私で変わらない。当事者として感じたことを伝え、社会を変えたい」。そんな思いで地元の友人らと発信を始めたのが、活動の原点だ。

 グループが一貫して訴えてきたのは、当事者の声をすべての取り組みの出発点にすること。認知症の人が希望をもって暮らせる地域づくりを当事者が参画して進められるよう求め、国会議員らと意見交換を重ねた。

 昨年、議員立法で認知症基本法が成立した。同法に基づき、国の施策を検討する会議には、藤田さんら3人の当事者が委員として参加。勉強会や当事者同士の交流といった活動を報告し、要望を伝えた。

 前向きに活動する姿は当事者の輪も広げた。

 グループのメンバーで大分県の戸上守さん(64)は公務員だった8年前、若年性認知症と診断され、落ち込んで1年ほど自宅にひきこもった。

 意識が変わったのは、デイサービスで同年代の認知症の仲間に出会い、一緒にソフトボールや農作業を始めてからだ。講演会で各地を飛び回り、藤田さんらと知り合うと、思いはさらに強まった。「認知症でもいろんなことができる人が、たくさんいるんだと、よく分かった。自分も頑張ろうと励みになる」

 グループには現在約200人の当事者が参加する。

 藤田さんは、会議の場でメモを取ったり、人の話を聞いて考えをまとめたりすることが、以前よりできなくなってきたと感じている。でも、共に活動してくれる仲間が増えた。「認知症の人も、これからなるかもしれない人も、もっと仲間を増やし、よりよい地域づくりを進めたい」と語る。

意見を施策・商品に反映

 認知症の人を「何も分からない」とするイメージを変えるきっかけになったのは2004年、京都市で開かれた国際アルツハイマー病協会の国際会議だ。福岡県の越智俊二さん(故人)が、国内の当事者として実名で経験を語った。政府は同年、「 痴呆ちほう 」は 侮蔑ぶべつ 的な表現だとして「認知症」に呼び名を変えた。

 政府が施策推進のため策定する計画には、認知症の人の視点を重視することや、思いの発信を支援する考え方が盛り込まれた。実際、当事者が交流し、思いを語り合う「本人ミーティング」や、診断されたばかりの人の相談に乗る「ピアサポート活動」の普及に取り組む自治体が増えている。当事者の声を集め、施策に生かす自治体もある。

 民間でも製品の開発や改善のため、認知症の人に意見を聞いたり、実際に使ってもらったりする動きが出ている。目立つ色のスイッチが付いたガスコンロや裏表がなくどちらで着てもいい洋服などが登場している。