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記事・コラム 2025.10.06

プロフェッショナルインタビュー

第3回「診療所で働いていてはできないことがたくさんあるということに気が付いたんです」シロアムの園 代表 公文和子先生

話題沸騰!数々の人気番組に出演している医師たちが語る
「キャリア」「信念」「未来」そのすべてに迫るインタビュー!

どのようにしてスキルを高め、逆境を乗り越えてきたのか?
日常の葛藤、医師としての信条、そして描く未来のビジョンとは――。


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【出演番組一部抜粋】
NHKプロフェッショナル仕事の流儀・情熱大陸

今回は【シロアムの園代表 小児科医】公文和子先生のインタビューです!
女性医師・小児科医として歩み続けた原点と海外への挑戦。
どんな経緯で海外に行ったのか。何を学び、何を得たのか!
シロアムの園の今後の展望など語っていただきました― ―。

第3回「診療所で働いていてはできないことがたくさんあるということに気が付いたんです」をお話しいただきます。

プロフィール

プロフィール写真
名 前 公文(くもん)和子(かずこ)
事業名 シロアムの園 代表
所 属 小児科


経 歴
  • ■ 1968年に和歌山県和歌山市で生まれ、東京都で育つ。
  • ■ 1994年に北海道大学を卒業後、北海道大学病院小児科に入局し、北海道大学医学部附属病院、千歳市立病院、市立札幌病院、北見赤十字病院、新日鐵室蘭総合病院(現 製鉄記念室蘭病院)で小児科医として勤務する。北海道大学大学院でも学ぶ。
  • ■ 2000年にイギリス・リバプールに留学し、熱帯小児学を学ぶ。内戦後の東ティモールや内戦中のシエラレオネ、カンボジアの小児病院で医療活動にあたる。
  • ■ 2002年にJICAの専門家派遣により、ケニアで活動を始める。また国際NGOでも働く。
  • ■ 2007年に長女を出産する。
  • ■ 2015年に障害児やその家族の支援事業である「シロアムの園」を設立する。



シロアムの園 代表 公文和子先生 インタビュー


ーケニアで出産された後、仕事と子育てをどう両立してこられたのですか。

ケニアでは日本より楽な部分は多い気がします。私はシングルマザーなのですが、メイドさんを雇えるので、メイドさんに家の仕事をしてもらっていて、とても助かっています。

出産した頃、ケニアの法律では産休は2カ月だったので、2カ月で職場に戻ることになっていました。でもその当時、アメリカのCDCというところから資金をもらっていたのですが、そのCDCから視察が来ることになり、1カ月半で戻らないといけないことになりました。とても大変でしたが、メイドさんが娘の面倒を見てくれていたので、娘がおっぱいを飲みたくなったら、メイドさんが娘を私の職場に連れてきていました(笑)。

日本ではまず保育所を探したり、丸一日預かってくれるところを探さないといけないなど、考えることが多いと思いますが、そういう苦労もなく、子育ての美味しいところだけを取りながら子育てできましたね。本当に色々な人たちに助けていただきました。




ーシロアムの園の設立経緯について、教えてください。

私はケニア自体をとても気に入っていて、仕事も楽しかったんです。特にエイズの仕事を10年ぐらいしていて、これも楽しかったのですが、ばりばり臨床をしていたわけではなく、臨床医をサポートするような仕事をしていました。

そして、西ケニアでの仕事を4年ほどした後、娘が1歳になったときに、やはりナイロビのほうがいいなと思うところがあり、ナイロビで仕事を探すと、たまたまJICAで企画調査員という仕事を見つけました。でもその仕事をしていると、ますます臨床から遠くなり、医師として必要な知識は得られてはいたものの、充実感が得られなかったんですね。それで「このままでいいのかな」「何でケニアにいるのかな」という思いから、臨床に戻ろうと決めました。

そこでチャイルドドクターという日本のNGO団体のクリニックで4年間働きました。それが大きな転機にもなったんですけどスラムの近くの診療所で臨床をして、スラムの地域医療の事業も行いました。その診療所にはさだまさしさんも来てくださったんです。スラムの人たちは生活がとても大変なのですが、自助努力で頑張れる人たちもいます。でも、障がいのある人たちやそのご家族は自助努力できる環境にない人も大勢いることが分かったのは、その4年間での大きな経験でした。障害のある子どもたちが診療所に来ると、診療所で働いていてはできないことがたくさんあるということに気が付いたんです。

日本の医療は精度が高くサポートの制度もあるので、障がいが起こらないよう努力する医療のシステムがあります。予防接種が行き渡っていますし、周産期医療も充実しているので、安心して医療が受けられますよね。日本で障害のある方は大きく分けて先天性の異常があるか、早期産か、神経発達症かになるかと思われますが、ケニアではそうではありません。ほとんどが人に作られた障害なんです。

病院に行ったけれども医師がいなかった、酸素がなかった、黄疸の検査をしないので核黄疸になったなど、日本なら起こりえないような医療環境だからこそ起こりえる障害が多いのです。それに日本は検診も進んでいるので、どこで発見するのか、どう説明するのかなどに対して確立されたものがありますが、ケニアにはそういうものもありません。

ケニアでは医療費も全額負担のことが多いので、お金を持っていないと治療も受けられず、学校にも行けません。家族に障害児がいると収入も減りますし、出費ばかりが多くなって、だから貧困が進みやすいんです。専門知識がない病院などではやはりきちんと診てもらえることも少ないですし、制度がないことによって、色々な意味で「どうするんだ」ということがとても多いんですね。私自身もクリニックで働いていた時に、患者さんにてんかんの薬を出しても、それをきちんと飲んでいるのか、てんかんを抑えたことで、この子の人生が良くなったのかというと必ずしもそうではなく、限界を感じました。

やはり子どもが成長するためには社会的な問題や環境、教育など、必要なことが整って、地域の人たちが子どもたちをかわいいと思えるような環境が大切です。それがあってはじめて、子どもが成長するのだと思います。そういうことが完全に脱落している子どもたちをどうしたらいいのかと考えると、やはり私が作るしかないのかなと思いました。

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ー「シロアム」という言葉の意味を教えてください。

シロアムとはイエス様が盲人を癒された池の名前です。差別や偏見が大きな地域なので、家の中に隠されている子どもたち、隠されていなくても外に出る理由、きっかけ、手段がなくて家の中にいる子どもたちが多くいます。

差別や偏見については部族によって考え方が違ってくるのですが、例えば「悪霊が憑いている」「障害者が生まれると一族に悪いことが起こる」「妊娠中の母に不貞があった」というレッテルを貼られます。そうすると、親御さんの自己肯定感は低く、孤立するし、家族からのサポートも薄くなります。そのため、家庭崩壊もとても多いんです。

今、うちに来ている子どもたちの中で両親が揃っている子は30%ぐらいです。半分ぐらいがシングルマザーで、残りはお母さんに捨てられ、おばあちゃんに育てられている子どもたちです。そういう家庭崩壊している中で産まれてきたことの意味を親御さんや本人たちがどう捉えていくのかということが一番大切です。

聖書の中にイエス様がお弟子さんと一緒に歩いていると、道で物乞いをしている視覚障害のある人に出会う場面があります。そのときにお弟子さんが「この人の目が見えないのはこの人が悪いのですか、この人の親が悪いのですか」と尋ねます。そのときにイエス様が「いや、親も悪くないし、この人も悪くない。これは本当に神様の栄光が現れるために起こっているのだ」という回答をされます。そうやって、その視覚障害のある人が癒された場所がシロアムの池という場所なんです。

私たちは「神様は一人一人を目的を持って作られた」という信仰を持っています。産まれなければ良かったという人はいないし、尊ばれない人がいてもいけないんです。それで、そういう信仰の中で子どもたちや親御さんが「この子が産まれてきてくれて良かった」「この子と一緒に生きられて良かった」と思えるような場所を作りたいという思いで、「シロアムの園」と名づけました。


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