話題沸騰!数々の人気番組に出演している医師たちが語る
「キャリア」「信念」「未来」そのすべてに迫るインタビュー!
どのようにしてスキルを高め、逆境を乗り越えてきたのか?
日常の葛藤、医師としての信条、そして描く未来のビジョンとは――。

【出演番組一部抜粋】
命を救う!スゴ腕ドクター・Nスタ・プロフェッショナル仕事の流儀・世界一受けたい授業
今回は【東京女子医科大学病院 乳腺外科教授】明石定子先生のインタビューです!
女性医師の外科医の苦労とは。どのようにして大学教授になったのか。
乳腺外科の今後についてなど語っていただきました― ―。
第4回「教授になったタイミングとしては本学が叩かれていた時代でした」をお話しいただきます。
プロフィール

名 前 | 明石(あかし)定子(さだこ) |
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病院名 | 東京女子医科大学病院 |
所 属 | 乳腺外科 |
資 格 |
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経 歴 |
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学 位 |
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受賞歴 |
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論 文 |
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主な役職・活動歴 |
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東京女子医科大学乳腺外科 明石定子教授 インタビュー
ー2022年に東京女子医科大学の教授に就任されたのですね。
これはお声をかけていただいたことがきっかけです。今は非常に仕事がしやすい環境です。教授になった
が、医局の雰囲気としてはとても良くて、楽しく仕事をしています。以前の理事長が解任され、組織をすっかり入れ替えるということで、理事会のメンバーも入れ替わり、学長も替わりました。病院のほうも院長、副院長が全員替わり、組織を新たにスタートさせたところです。副院長が7人いますが、私にもお声がかかり、その末席にいさせていただいています。2024年11月に副院長になったところなのですが、この仕事がとても忙しくて大変です(笑)。タイミングとしては
本学が叩かれていた時代でした
ー副院長として、どのような仕事をなさっているのですか。
各種の委員会への出席もありますし、女子医大はこれまでのやり方ではやりにくかったところのある組織でしたので、それを変えていかなくてはいけないということで、色々なワーキンググループが立ち上がったところです。この仕事が大変なんです。臨床以外のことが大変で、電力削減などの診療ではない仕事を色々とやっています(笑)。
ー東京女子医科大学病院のブレストセンターをどのように立ち上げ、組織を強くしていかれたのですか。
女子医大にはもともと乳腺外科があったのですが、いわゆる以前のナンバー外科であった第二外科と乳腺内分泌外科に分かれていたんです。同じ大学の中に2カ所の乳腺外科があり、私が着任する前に乳腺内分泌外科というところに一旦、合併したのですが、結局、乳腺外科となり、内分泌外科とは分かれました。このように合併したり、分かれたりという過程で、スタッフが減ってしまい、かなりジリ貧状態になっていたんです。そこで、私が着任してからは皆が働きやすいように、無駄になったところを有機的に変えていったり、非常勤医師をはじめ、医師を増やしていくことで、手術も増やすことができるようになりました。
現在のメンバーは第二外科か乳腺内分泌外科に所属していた人が中心ですが、外科診療を全般的に診療する中で乳腺外科を専門にするようになった医師、救急や肝胆膵外科から乳腺外科に転科してきた医師など、皆が様々なキャリアを持っています。ママさん外科医もいて、家族ぐるみで親しくしています。
ーいい雰囲気なのですね。
医師が増え、手術も増えてくると、学会発表の機会も増えてきました。私はもともと論文指導が得意だったのですが、着任してすぐの時期に医局員が書いた論文が賞をいただいたり、ほかでも評価されることが色々とあり、医局が活気づいたんですね。皆が色々な研究をできるようになって、楽しさを覚え、遣り甲斐を感じてくれるようになると、スタッフも増えてくるという循環ができました。研究のネタを医局員に振ってみたところ、科研費をきちんと取ってきたということもありましたね。
乳腺外科では乳腺専門医の取得にとどまらず、学会発表、論文などもきちんと教え、学位の取得まで責任を持って指導することをモットーにしています。
ー最新の乳がん診療について、お聞かせください。
乳がんは日本人女性の罹るがんの中では最も多いものですが、早期の乳がんで、適切な治療をすれば9割以上の確率で治る疾患です。私どものブレストセンターでは医療者と患者さんで話し合って治療戦略を立てています。乳房温存か、部分切除か、全摘か、全摘後に再建するのかなどの手術の選択はもちろん、薬の方針も決めています。最近の薬は全部に効くというよりはターゲットを絞った抗体薬が多く出てくるようになりました。逆に抗体薬が年に何種類も出てきますが、適応が少しずつ違います。
その適応を間違えないようにしないといけません。また化学療法を行うと脱毛という副作用がありますが、頭皮冷却装置により、その対策も可能になっています。遺伝性乳がんの検査も保険診療が可能になりましたし、陽性の場合でも保険でカバーできるようになりました。将来、子どもが欲しいと考えている若い患者さんには治療前に受精卵保存も行い、患者さんが前向きな日々を過ごせるような診療
に取り組んでいます。
ー乳がんは薬で治る時代になるのでしょうか。
治るものもありますが、ホルモン感受性の乳がんであれば手術をしたほうがいいでしょう。薬で治すと言っても、薬は高いんですよ。今は1回で100万円する薬も出てきています。それを半年間から1年間、使ったとすると600万円から800万円ぐらいになりますが、効き目はそこまで長く続きません。術後の再発治療で飲む薬も2年間、飲めば1200万円になります。もちろん、これは高額療養費ですし、高額療養費制度のもとでのご本人の負担になりますが、とは言え高額療養費を全額払い続けるのは大変です。そもそも、その何倍ものお金を国民全体で払っている状況です。そして、そういった薬を作っている製薬会社の多くは外資系で、日本のお金がどんどん外国に流れていっているわけです。患者さんの病気が治る薬が次々にできているのはとても喜ばしいことである反面、このお金を誰が払うのかということが問題
です。高額療養費制度を支えているのは税金ですし、税金を払っているのは国民なので、このままだと医療がもちません。一方で、湿布のようなものを医療保険で出していたりもしますし、それは止めて、本当に効く薬を保険でカバーするなど、税金の適切な使い方を考えていかなくてはいけません。何でもかんでも保険でカバーしようとすると、医療費はもたないのではないかと感じています。

ー乳腺外科医としての診療方針をお聞かせください。
多くの患者さんには、もし残せるのであれば自分の胸を残したいという気持ちがあります。もちろん、その患者さんのがんの状況によっては残せないこともありますが、可能な範囲で、その患者さんが納得できる選択肢を示せるようにしたい
と思っています。駄目なものは駄目なので、そこはきちんとお話しをして、できるときはなるべく希望に沿うようにしたいですね。患者さんが納得できる形でベストな方法を提示することを心がけています。
ーチーム医療をどのように推進されているのですか。
お互いが相手を尊重し合っていくことが大事だと思っています。相手の得意とすることをよく引き出して進めていきたいですね。頼れるところはうまく頼るということです。私は色々と頼って、仕事をしてもらっています(笑)。乳がんの治療期間は長丁場
になりますので、私一人では対応していくことはできません。形成外科の先生方とのコミュニケーションも積極的に取っていますし、乳がん看護認定看護師さんには術後のケア、薬剤師さんには薬の投与についての説明をしていただいたりしています。
ー病診連携についてはいかがでしょうか。
がん診療では病診連携は非常に大切です。女子医大に来てからは開業医の先生方とは顔の見える連携を進めていきたいと思っていました。それで年に2回、開業医の先生方とのカンファレンスを開催
しています。「大学では今、こんな診療や取り組みをしていますよ」というご案内をしたり、開業医の先生方からのご要望を伺ったりしています。そこで開業医の先生方から「紹介状の返事が遅いです」と言われると、耳が痛かったりします(笑)。
ー医工連携もされていますか。
早稲田大学と東京女子医科大学によるTWInsという先端生命医科学センターが2008年に設立され、そこで医学と工学のそれぞれの技術を組み合わせた医工連携の研究を行っています。現在、当院の乳腺外科で行っている研究は早稲田大学ではなく、外部の組織との間でのものなのですが、新しい薬や乳がんの診断のためのツールを共同研究しているところです。例えば、呼気を用いた診断法で、これが実現できれば、痛いからという理由でマンモグラフィによる検診を敬遠してしまっている方にも低侵襲で、手軽な診断法が広まるのではないかと期待
しています。現在でも乳がん検診の受診率は50%ほどとなっていますので、この検診率も上げていきたいと考えています。