話題沸騰!数々の人気番組に出演している医師たちが語る
「キャリア」「信念」「未来」そのすべてに迫るインタビュー!
どのようにしてスキルを高め、逆境を乗り越えてきたのか?
日常の葛藤、医師としての信条、そして描く未来のビジョンとは――。

【出演番組一部抜粋】
命を救う!スゴ腕ドクター・Nスタ・プロフェッショナル仕事の流儀・世界一受けたい授業
今回は【東京女子医科大学病院 乳腺外科教授】明石定子先生のインタビューです!
女性医師の外科医の苦労とは。どのようにして大学教授になったのか。
乳腺外科の今後についてなど語っていただきました― ―。
第1回「体育会系の自分はなんとなく外科に向いていると思っていました」をお話しいただきます。
目次
- 1. プロフィール
- 2. 医師を目指したきっかけをお聞かせください。
- 3. 東京大学を受験されたときは医師志望ではなかったのですね。
- 4. 理科II類からの医学部進学は難しいと聞きます。
- 5. 学生生活で思い出に残っていることはありますか。
- 6. 外科を選ばれたのも学生のときですよね。
- 7. 外科の中で第三外科を選ばれたのはどうしてですか。
- 8. 第三外科は女性が働きやすい医局だったのですね。
- 9. 外科に向いていると思われたのはどうしてですか。
- 10. 東京大学医学部附属病院での研修の日々はいかがでしたか。
- 11. 初めて執刀されたときの思い出をお聞かせください。
- 12. その頃は乳腺外科ではなく、一般的な外科を診られていたのですよね。
- 13. 当時は胃がんが多かったのですか。
プロフィール

名 前 | 明石(あかし)定子(さだこ) |
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病院名 | 東京女子医科大学病院 |
所 属 | 乳腺外科 |
資 格 |
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経 歴 |
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学 位 |
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受賞歴 |
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論 文 |
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主な役職・活動歴 |
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テレビ出演歴(年代順) |
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東京女子医科大学乳腺外科 明石定子教授 インタビュー
ー医師を目指したきっかけをお聞かせください。
私は東京大学の理科II類に入学したので、そこから医学部に必ずしも進学するというわけでもなく、最初から医師を目指していたというわけでもなかったのですが、自分の特性を考えたときに対人的な仕事が向いているのではないか
と思ったことが挙げられます。当時はまだ男女雇用機会均等法ができて間もない頃だったので、比較的男女差別のない分野に行きたいという思いもありました。
それから、お腹が痛くなったりするときの原因など、人間の身体の中で起こっていることが分かるといいなという、ふわっとした志望動機もあって、医学部に進学することにしました。そのときはふわっとしていましたが、今は日々の仕事が患者さんへ直接、貢献できる意味で、有り難い職業に就けたのだと実感しています。
ー東京大学を受験されたときは医師志望ではなかったのですね。
そうです。理系ではありましたが、医師をはじめ、特にどうしてもこの仕事に就きたいというビジョンはありませんでした。
ー理科II類からの医学部進学は難しいと聞きます。
地方から来た学生が遊び方を知らず、そのままの生活をしていたら医学部に行けたという感じです(笑)。

ー学生生活で思い出に残っていることはありますか。
部活動は全学の合気道部に入っており、部活動にはかなり頑張っていました。合気道は黒帯で二段
まで取得しました。
ー外科を選ばれたのも学生のときですよね。
当時はストレート入局で、卒業するといきなり入局という形でしたので、大学時代に診療科を決める必要がありました。臨床実習で色々な科を回っているうちに、何となく私は内科より外科のほうが合っているのではないかと思うようになりましたし、「治している」という実感
を得られそうだと感じ、外科を選びました。
ー外科の中で第三外科を選ばれたのはどうしてですか。
当時は外科医局によっては女性ウェルカムではなかったんです。そのため、女性の先輩が1人、2人といらっしゃり、女性であるということで特別扱いされずに入れるところ
なのかなと思い、第三外科にしました。第三外科は現在、胃食道外科・乳腺内分泌外科になっています。
ー第三外科は女性が働きやすい医局だったのですね。
大学の部活動ではまだ良かったです。やはり女性1人ですと、色々と苦労しそうだということを実感していました。外科の中には「来てもいいけどね、女性用のトイレないよ、ロッカーないよ、更衣室ないよ」と言っている医局もありましたが、そういうところにあえて行くよりは女性の先輩がいらっしゃるところのほうが、医師として一人前になるための苦労
だけで済み、女性であることで背負わなくてはいけない余分な苦労が比較的少ないのではないかと思いました。ただし、今は女性の外科医も増えていますので、労働環境はかなり改善されています。実際特別扱いされることもなく楽しく研修させて頂きました。

ー外科に向いていると思われたのはどうしてですか。
学生実習中に「君、外科に向いてるね」とおだてられその気になったというところもあると思いますが、体育会系の人間として向いてる
と思っただけです(笑)。
ー東京大学医学部附属病院での研修の日々はいかがでしたか。
充実した日々でした。今もそうかもしれませんが、当時は当直もして、ようやく一人前ぐらいの給料でしたので、当直のアルバイトに行かなくてはいけないというのが大変ではありました。第三外科に入局してすぐの頃は手術が憧れでしたね。
最初のうちは手術の際は2番目、3番目といった立ち位置になります。それで手術に入っても、いい位置には入れず、術野から遠い位置にしか入れなかったんです。そのため、「術野が見えるところに行きたいなあ」と思いながら手術に入っていました(笑)。とにかく手術がうまくなりたかったんです。そのためには多くの手術を経験するしかないですし、「手術があったら呼んでください」といつもお願いしていました。
そして無駄のない動きをして、速く手術できるようになりたいと考えていました。
ー初めて執刀されたときの思い出をお聞かせください。
初めて術者を担当させていただいたときは全く手が動きませんでした。どうしたらいいのか、よく分からなかったんですね。それまで助手として手術に入っていた時に、先輩の先生は当たり前のように手術をされていたので、私もメスを持てば普通にできるのだろうなと考えていたのですが、全く進まなかったことを覚えています。
ーその頃は乳腺外科ではなく、一般的な外科を診られていたのですよね。
当時は乳腺外科が独立している科ではない時代だったんです。乳がんの患者さんもこんなに増えるとは思ってもいなかったので、外科イコール消化器外科という時代でした。第三外科も消化器外科をメインとしており、私も消化器外科医として、多くの手術に入りたいなと足掻いていました。
ー当時は胃がんが多かったのですか。
そうです。第三外科も胃がんの患者さんが多く診ており、私も胃がんの手術がうまい外科医になりたいと思っていました。外科医として女性であることを意識したことはないのですが、胃がんの女性の患者さんに「女性の先生で良かった」と喜ばれた
ことがあり、これが乳腺外科を専門にしていくきっかけの一つになったのかもしれません。