記事・コラム 2025.07.15

地域医療を担う人材育成

第12回 初期研修医に対して、指導医として心がけていること その2

講師 石井 正

東北大学 卒後研修センター

1963年に東京都世田谷区で生まれる。1989年に東北大学を卒業後、公立気仙沼総合病院(現 気仙沼市立病院)で研修医となる。1992年に東北大学第二外科(現 先進外科学)に入局する。2002年に石巻赤十字病院第一外科部長に就任する。2007年に石巻赤十字病院医療社会事業部長を兼任し、外科勤務の一方で、災害医療に携わる。2011年2月に宮城県から災害医療コーディネーターを委嘱される。2011年3月に東日本大震災に遭い、宮城県災害医療コーディネーターとして、石巻医療圏の医療救護活動を統括する。2012年10月に東北大学病院総合地域医療教育支援部教授に就任する。現在は卒後研修センター副センター長、総合診療科科長、漢方内科科長を兼任する。

目次

先生方の中には患者さんの前で「調べること」が駄目だとおっしゃる先生もいらっしゃると聞きます。

いますよ。「医師たる者は頭の中に全ての知識が入っているべきだ」と言って、病棟回診の際も若い医師がアンチョコなどを見ると怒る指導医もいます。見た目が優しい顔なのに、性格はガチの体育会の後輩がいるのですが、その後輩はそういう指導医みたいです(笑)。でも、学生に「何かを見ながらの研修がいいのか、何も見てはいけないという研修がいいのか」と聞くと、「それは見られるほうがいい」と言います。私もそうです。私は石巻赤十字病院にいた頃から平気でやっていますし、隣のブースに聞きにいくこともあります。

今もお隣のブースに行かれるのですか。

行きますよ。漢方薬治療で進めていくとなったときに、隣のブースに漢方内科を専門にしている有田龍太郎医師がいると、患者さんに「ちょっとお待ちくださいね」と言って隣に行ったり、漢方内科の第一人者であり、当科の准教授である高山真医師に患者さんの目の前で電話をかけて、「こういう患者さんがいらっしゃるんだけど、何がいい」と聞いたりします。それで患者さんに「漢方の専門家がこれがいいと言っていますよ」と言うと、「そうですか」と納得してくださるんです。同級生である放射線科の高瀬圭教授に電話するのも同じことですね。要するに智恵を借りるわけですよ。自分のプライドを保つよりもいい医療ができたほうがいいですからね。

患者さんももしかしたらその方が真摯に診てもらえているという感覚を持つのかもしれませんね。

患者さんに「先生方がとにかく一生懸命、考えてくださっている」と思ってもらえると、それにより信頼関係が築きやすいと思いますし、それは別に患者さんからの人気を獲得するためにしているのではなく、患者さんから病態をうまく聞きだすために大事なんです。具合が悪くなったら教えてもらいたいですし、信頼関係が希薄でほかの病院に行かれたら悲しいですしね。そのため、研修医には患者さんの前で本やパソコンを見てもいいよ、と教えています。

最近はパワハラも禁止ですよね。

今はパワハラには厳しいですね。今思うと、若い頃は手術の際に手荒といわれても仕方が無いようなことをしたりしてました。私が執刀医をしていて、向かいに立っている第一助手が夢中になって私の言うことが聞こえていないときに、洗っている手を使えないので、頭突きしたりしていました(笑)。でも手術中に「馬鹿野郎」とか言うことはありませんでした。そうすると、手術が止まるからです。手術中は周囲をおだてながら楽しくやることを徹底していました。

では理想の指導医とはどういうものでしょうか。

月並みですが、親身になることでしょうか。「知らない」とは言わず、研修医から質問されたら一緒に調べたり、「こうなんじゃない」とアドバイスするなどです。これは部活動と同じですよ。だからか、運動部でも文化部でも部活動をしてきた人には教えやすいです。部活動をしていると後輩として先輩から教わった経験、先輩として後輩を教える経験の両方の立場を経験しているので、そういう意味では共有しやすいですね。でも、私は「遅刻しないでね」という最低限のことしか言わないです。

今は怒ったりされないのですね。

馬鹿野郎とかは言わないですね。以前の連載でもお話ししたように、石巻赤十字病院にいた頃、時には研修医とつかみ合いみたいなこともしていましたが、それは普段から研修医と近くでつきあっていたからこそできたのであって、今は大学病院の研修医とは付き合いがあまりなく、毎日顔を合わせているわけでもないので、誤解されないようにしないといけません。今の若い人はそういうところは繊細なので、言い方なども気をつけています。

世代で違いますよね。

今の医学部に来るような学生ははっきり言って、親に怒られた経験がほとんどないのじゃないかと思います。子どもの頃から多分、超成績が良くて、特に東北大学医学部に入るような学生は中高では学年1位か2位だった人たちです。進学校に行き、そこで医学部受験でストレートで受かるような子どもには親は怒らないですよ。逆に「いい子を産んだなあ」と周りに自慢してもおかしくないと思います。そうすると本人は怒られないまま大きくなるので、怒られることへの免疫がついていないんですね。だから、そこは気をつけています。でも研修医になれば失敗を一杯するので、怒られるんですけどね。そこで、指導医としては研修医が怒られることに対しての免疫を徐々につけていけるように上手に指導していくことが重要なのではないかと思います。

先生が石巻赤十字病院で金田巌先生から受けたご指導は大分厳しかったですよね。

金田先生の指導は今だと超パワハラですね(笑)。でも尊敬しています。指導に妥協がなかっただけなのだと今では思っています。私は金田先生に怒られ続けて、メンタルを病みかけましたが、金田先生の退官記念のパーティーでは集まった弟子たちがそれぞれ自分が受けた厳しい指導について奥さまの前で暴露しまくったので、爆笑に次ぐ爆笑でした。私だけでなく、皆も厳しく言われていたんだなあと思いましたね。やはり、指導医は最初は「イイコイイコ」にしていて、徐々に免疫をつけるべく、なだらかに怒っていくことです。一方で、遅刻やカンファレンスに来ないといった社会人としての最低限のマナー違反に関してはどこの企業でも同じなので、はっきり指導するべきです。研修医が特殊だとするならば、それはほとんど怒られた経験がない人たちの母集団だということであり、指導医もそれを意識しておくことが大切です。

救急外来の研修では怒られるし、ストレスが溜まるというお話を研修医の先生から伺ったことがあります。

生命がかかっている現場なので、そりゃ容赦ないのも仕方が無いと思いますよ。ではどうするか。東北大学病院の宣伝になりますが、病院長の指示を受けて、学生や研修医の有志を集めて意見を聞き、カリキュラムの見直しを行いました。大学病院の三次救急の場に研修医がぽっと出されるとなると右も左も分からず、メンタルが辛いらしいんですね。命がかかっている現場なので妥協は許されませんから。そこで、どうしたらいいのかという話になり、1年目の研修医が慣れるまでは2年目の研修医と一緒に救急外来に入れるスケジューリングとなるカリキュラムにした方が良いと、現役研修医に言われました。そこで東北大学病院での初期研修では2年目に外部の病院での研修があるのですが、1年目の研修医のためにも2年目の4月、5月は当院に残るような仕組みに変更することにしました。それから救急外来での研修をする前に、救急にマッチする内科の循環器、呼吸器、消化器、脳神経の4診療科の研修をなるべくしたほうがいいということも言われました。この4診療科を勉強してから救急に行ったほうが精神的にもいいということですね。内科の必修期間は6カ月ですので、この4診療科のうちの3つを必修として2ケ月づつ選択するよう変更しました。

研修医にとっては有り難い変更ですね。

これを提案してくれた学生と研修医のお蔭ですね。皆、よく考えているんです。私たち世代よりもはるかにきちんと考えています(笑)。

2年目の初期研修医へのメッセージ

2年目の初期研修医になると、選択期間ができますね。

選択期間の過ごし方には2通りあります。一つは将来の診療科を決めていて、その科を選択期間に回るというパターンと、もう一つは専門科に進んだら勉強できなくなる科をあえて回るというパターンです。どちらがいいというのは何とも言えないところです。

そして、専門医資格取得のための専門研修プログラムを選ばないといけない時期になります。

これには色々な意見がありますので、以下は私の個人的な意見として聞いていただきたいです。簡単に言うと、大規模なプログラムがいいです。どのようなプログラムかと言いますと、多くの連携施設が入っているプログラムです。専門研修の目的の一つは専門医試験を受けるための症例を確保することにありますが、求められる症例の中には希少なものもあります。連携している施設が少ないと症例を確保しづらくなりますので、連携施設の多いプログラムに入っておいたほうが有利です。さらに言えば、大学病院のプログラムがいいのではないかと思います。

大学病院での専門研修はどのようなところが良いのでしょうか。

例えば、石巻赤十字病院も大きな病院ですが、それでも連携病院は少なく、逆に大学病院が連携病院に入ります。そうすると石巻赤十字病院で経験できない症例を大学病院に経験しに来ることになります。でも大学病院側が優先するのは自分のところの専攻医になりがちなので、最初から大学病院で研修して、ローテートの中で石巻赤十字病院に行くほうがいいのではないかということです。

ほかにメリットはありますか。

私は入局主義者なので(笑)、入局する意味でも大学病院のプログラムはいいですね。でも最近は大学病院のプログラムに入っても入局しない人も少しはいるようです。理由としては大学に縛られず、自分の人生は自分で決めたい、自分の行きたい病院に行きたいということでしょう。

医局人事が嫌だということでしょうか。

今は医局人事と言っても、本人の意向を無視するということはありませんし、入局しない理由は謎ですね。東京に行ってみたい、地元に帰りたい、厚生労働省でキャリア官僚になりたいという理由なら分からなくもないですが、私自身は入局しないという選択肢はお勧めしません。確かに、個人としての病院就職となれば、最初から一人前扱いされて、給料も高めで、戦力としてみなされたうえで第一線で働けるというメリットがあります。その働き方ははじめはおそらく楽しいでしょう。しかしデメリットもあります。

どのようなデメリットですか。

自ら転職しない限りその病院のやり方しか知らずに一生を終わることです。学会活動には参加できない事は無いと思いますが、かなり制限されるでしょう。勉強してもらうために雇っているのではなく、医者として働いてもらうために雇っているのですから。そして、その病院でトラブルなどの問題を起こしてしまったら、「はい、解雇です。あとは自分でどうにかしてください」ということになるリスクがあります。そのような働き方は芸人で言うと個人営業をしているようなもので、逆に医局に入ることは事務所に所属するのと同じです。つまり、医局に入ることは組織の一員になることなので、自由度という面では下がる可能性があります。その代わり、医局は、新しく入ってきた人をきちんと育てて、いずれは教官として、関連病院に派遣して、また次の世代を教育してもらう、あるいは大学で頑張って幹部になってもらうことを目指しています。つまり、常に次の世代をガチで育ててきた歴史があります。若い人たちをきちんと教育しないと、さらに次の世代を教育する人がいなくなるからです。そこで、各医局は一人一人の医局員のキャリア形成について真剣に考え、そのためのレールを敷いてくれます。例えば、本人の希望や興味を聞きながら「何年目になったのだから、この病院でこういう手術を勉強してきてね」「こういう手術に興味があるなら、この病院に半年ほど行ってみたら」という提案をするわけです。そのため、若手医師は自分で勤務先を開拓しなくても、ふと気づけば一人前にしてもらったと実感できます。もちろん本人にやる気があることが前提ですが、これが医局に入ることの一番のメリットです。

医局はキャリア形成をしてくれる場なのですね。

そこまでしてくれない大学もあるのかもしれませんが、私が知っている東北大学に関しては医局を辞めない限りきちんと面倒を見ます。病気などの不運があったり、出産などのライフイベントについても、それに配慮した勤務を考えます。外部の病院に行っているときに妊娠したので休むとなるとその病院に穴が開きますが、そこに代わりの人をすぐに派遣します。保険という言い方は適切でないかもしれませんが、医局は人生の保険が効く場だと思います。もちろん本人が与えられた場できちんと仕事をすることが求められますが。それから東北大学に関して言うと、最先端医療から地域医療まで全て行っているので、希望があれば好きなカテゴリーに行くことができます。大学で頑張りたいという人はもちろん、外部の病院でばりばりやりたい、少し小さめの病院で家庭医療的な外科をしたいなどの希望に応えることができる選択肢が豊富にあります。

大学院に入るのも選択肢ですね。

医局に入ることは東北大学では大学院に入ることとほぼイコールなので、学問もできますね。

医局に入ることのデメリットはありますか。

先ほどもお話ししたように、組織の一員になるわけですので、学生教育をしろとか、科研費を獲得しろなどの一定のエフォートは求められます。それは自分のしたくないことかもしれないのです。でも、デメリットはそれぐらいなので、やはり医局には入ったほうがいいですね。世間では医局制度は奴隷制度だ、医局員を強制的に僻地に派遣している、教授が右向けと言えば右を向かないといけないなどと言われていますが、「白い巨塔」「ドクターX」「ブラックペアン」みたいな世界はフィクションです(笑)。

医局人事もいいものなのですね。

これは大学病院と関連病院がwin winの仕組みだと思います。大学病院できちんと教育を受けた医師が関連病院に出ますので、関連病院にとっては医師を一般公募するよりも医療の質が担保されます。ほかの業種もそうでしょうが、信頼できる筋から紹介されて入職した人には「この人は大丈夫だ」といった、ある程度の信用がありますよね。医局から来る医師もそれと同じです。万が一人間性に問題があるなどクオリティが低かったとしたら、医師を変えてくれという要求もできます。また医師が病気などで休職する場合ももちろん医局からの補充があります。それから一つの関連病院にずっと残って部長や病院長になるような中堅クラスの人事もありますが、多くの若手は原則として数年でローテートしますので、人の流動化が担保されます。プロのスポーツチームと同じで、若い世代が常に入ってくるので、医師の年齢構成がいつも同じだということも関連病院にとっては良いことです。関連病院は医局に支配されている構造があると言う人がいますが、そんなことはないと思っています。私たちはこのメリットを関連病院が多い宮城県、岩手県などには常に話しているので、彼らも分かってくれています。大学にとって関連病院は重要な教育機関でもあり、関連病院の勤務医は学生や研修医を教えてくれる教官でもあります。だからwin winなんですよ。