記事・コラム 2024.12.15

地域医療を担う人材育成

第5回 医学生へのメッセージ その2

講師 石井 正

東北大学 卒後研修センター

1963年に東京都世田谷区で生まれる。1989年に東北大学を卒業後、公立気仙沼総合病院(現 気仙沼市立病院)で研修医となる。1992年に東北大学第二外科(現 先進外科学)に入局する。2002年に石巻赤十字病院第一外科部長に就任する。2007年に石巻赤十字病院医療社会事業部長を兼任し、外科勤務の一方で、災害医療に携わる。2011年2月に宮城県から災害医療コーディネーターを委嘱される。2011年3月に東日本大震災に遭い、宮城県災害医療コーディネーターとして、石巻医療圏の医療救護活動を統括する。2012年10月に東北大学病院総合地域医療教育支援部教授に就任する。現在は卒後研修センター副センター長、総合診療科科長、漢方内科科長を兼任する。

医学部の上級生になってくると、臨床研修病院をどう選ぶのかが気になってくるようです。

単純に言えば、色々なことをやらせてくれる病院がいいですね。「カンファレンス開いて皆で議論しよう」「壁際に立ってとりあえず見学して」という病院ではなく、「これもやってみる?」「これをやって」「いいからやれ」のような病院です。これは教える側も自信がないとできないんです。研修医に何かをさせるにはリスクがありますからね。

先生がいらした石巻赤十字病院も人気病院の一つですね。

石巻赤十字病院の初期臨床研修医の採用基準は東北大学病院よりもエキセントリックですね(笑)。「1年間、外国を放浪してきました」みたいな人を面白がって採用するような雰囲気がありました。ダイバーシティと言いますか、学閥は全くなかったです。それに加えて、病院が新築移転して綺麗になり、その4年後に震災に遭いました。震災のときから患者さんを断らないことで有名になり、そこで勉強したい、忙しくてもそこで一杯、経験を積みたいという人たちが集まってきて、人気病院になっていったのだと思います。病院が綺麗になったから人気病院になった面もありますが、それで終わらなかったのはその頃の初期研修医が伝統を作っていったからでしょう。

その頃の初期研修医のお一人が沖縄県立南部医療センター・こども医療センターで臨床研修センター研修管理委員長をされている土屋洋之先生ですね。土屋先生は石井先生に怒られたとおっしゃっていました。

土屋洋之先生のインタビュー記事
https://www.e-resident.jp/content/interview/6276

大喧嘩したんですよ。あれは確か土屋先生が石巻赤十字病院の初期臨床研修2年目のときのことでした。当時の石巻赤十字病院は内科医の数が少なくて、内科病棟での初期研修医にかかる負担は大きいものがあり、彼ら研修医は大変忙しく働いていました。私と言えば、2005年に金田巖先生(当時の副院長で外科の上司)の命令で東京の国立がんセンターに外来化学療法のノウハウを学びに3カ月の研修に行った後、学んだノウハウを活かして、新病院に移転した2006年に「外来化学療法センター」を立ち上げました。「抗がん剤が漏れたら皮膚障害などのリスクがあるので、抗がん剤の点滴ラインは医師がとるべき」との国立がんセンターの安全管理の考え方に従い、同センターを受診した患者さんのライン確保は看護師ではなく、研修医を含む「ライン確保当番」医師が行う体制としました。

国立がんセンターとは異なり、石巻赤十字病院は当番医師がセンターに常駐する人的余裕がなかったため、やむなく患者さんが来たらセンター看護師から呼ばれる「オンコール制」としました。すなわち、当番医師は病棟などで普段の日常業務を行いつつ、同センターから「お願いします」と呼ばれたら、その都度同センターに行って患者さんのラインを取るというシステムです。

研修医の先生方も当番をしていたのですね。

ある日、土屋先生がその「ライン確保当番」にあたっていました。その頃の土屋先生は病院内でとても評判の良い勤勉な研修医で、上級医から信頼されているだけでなく、後輩医師やコメディカルの方々からも何かあると「土屋先生、土屋先生」と頼られるような、院内でまさに「カリスマ研修医」的地位を築いていました。ところがその日、彼の態度について、センターの看護師から苦情が来ました。なんでも、超忙しかったのか、虫の居所が悪かったのかは知りませんが、不機嫌な顔で同センターにやってきた土屋先生は来るなりセンターの看護師に「ライン確保なんて看護師でいいでしょ」と文句を言っただけでなく、患者さん本人にも「ライン取りとか看護師さんで別にいいですよね」と言い放ったそうです。

「ライン確保当番」制度が安全管理上の配慮であることを全く理解できていないとしか思えない態度です。アタマに来た私は医局のロッカー室で土屋先生を捕まえ、「何だ、外来化療センターでの態度は。いい加減にしろよ、評判がいいからって何か勘違いしているんじゃないのか」と怒鳴りつけました。すると「別に勘違いなんかしてませんよ」「そう思ったから言っただけです。いけないんですか」と目を剥いて反論してきたではありませんか。当時、「院内3大キレキャラのひとり」と言われていたり、年甲斐もなく幼稚なことを平気で口走ることから、研修医から「小学生」とあだ名をつけられて揶揄されていた私は誰からも愛されている彼に対するやっかみも正直あったのでしょう、そこから先は売り言葉に買い言葉で、「ふざけんな」「先生にそんなこと言われる筋合いないです」「何様だ、てめえ」と互いに胸ぐらをつかまんばかりの、今だとパワハラで訴えられても仕方がないような怒鳴り合いとなりました。

それで、どうなったのですか。

その後のことはよく覚えていませんが、確か「皆がお前を認めても、俺だけはお前を絶対に認めない」と捨て台詞を残してロッカー室を後にしたような気がします。その後しばらく口もききませんでしたが、いつの間にか仲直りしました。東日本大震災のときにも、わざわざ年休を取って沖縄から1カ月くらい石巻赤十字病院に支援に来てくれて、そのときも本当に頼りにしていました。今でもときどき相談事があると電話したりしますし、私が参加している「認定NPO法人災害医療ACT研究所」が毎年各地で開催している「災害医療コーディネート研修会」の沖縄開催会には講師として参加してくれていて、そのたびに一緒に飲みに行く、そんな大切な友人です。

仲直りできたのですね。

どうやって仲直りしたのか、いくら考えても思い出せないので、先日、土屋先生ご本人に電話で聞きましたところ、喧嘩した数日後に「あのときは俺の言い方が悪かった」と私の方から彼に謝ったそうです。覚えていませんが。加えて、これはかなりお世辞も入っているとは思いますが、「自分よりだいぶ年上の先生が駆け出しの自分に対して、お客さん扱いではなく、魂をぶつけるような指導をしてくれて、かつ外来化学療法センターでの態度は完全に自分に非があり、謝るべきなのは本来自分なのに、後日『言い方が悪かった』と悪いところは悪かったと上司でも当たり前のように研修医に謝ってくれるなんて、なんてフランクで医療に真摯に向き合っている熱い職場なんだろう、こりゃこれからも頑張らなければいけないなと感動したんですよ」と言ってくれました。やっぱり、いいやつです。

いいお話です。

そんな研修医が、私がいた頃の石巻赤十字病院にはゴロゴロいました。それで、学生見学などで、忙しそうだけど楽しく働く彼らを目の当たりにして「ああなりたい」と憧れた学生が次の石巻赤十字病院の初期研修医になっていきます。つまりそれが伝統化しているので、多分今でも土屋先生のような研修医が石巻赤十字病院にはゴロゴロいると思います。

石巻赤十字病院には「急患帳」という初期対応の仕方などが絵本のように書いてあるマニュアルがあるのですが、その一番後ろに「土屋の八訓」が載っていますよ。最近、この話をこのコラムでしていいかどうかを土屋先生に聞いたのですが、「何の問題もないです。本当に懐かしいです。あのとき、怒られて当然だし、本当に怒られて良かったと思っています。あれがなかったら、先生と今でもこうして繋がっていないかもしれません。とにかく、忙しくて楽しかった、そんな思い出ばっかりです。石巻で医師人生をスタートして本当に良かったです」という返事をもらい、改めていいお人柄の先生だなと思いました。

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こういう病院で初期研修ができるのは素敵ですね。

私が東北大学に戻ってからしばらくしてある中学校に東日本大震災の経験の話をしに講演に行ったときに、校長先生から「石巻赤十字病院に石井亮くんって、いましたよね」と聞かれました。石井亮先生は今では東北大学病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科の講師で、頭頚部外科手術の次世代のエースと言われているらしい男なのですが、初期研修は石巻赤十字病院で、実は3年目の後期研修は石巻赤十字病院外科だったんです。当時よく一緒に飲みに行ったりしてました。それで「知ってますよ」と答えると、校長先生が「私は教員を40年近くしていますが、これまで教えた生徒の中で最もデキたのが石井亮です。態度、振る舞い、学力の全てが申し分なかった」と言われました。確かに石井亮先生は優秀で勤勉で、かといって堅物でもなく、芯はあるけどやわらかい人柄で誰からも信用されるような研修医でした。そういう研修医が来るのが石巻赤十字病院なんでしょうね。土屋先生や石井亮先生のような研修医がいると、その下もまた屋根瓦式に同じような研修医で繋がっていきます。臨床研修病院を選ぶのは部活動を選ぶのと似ていると思います。見学に行き、いいなあと思えるような研修医がいるかどうかという観点で選ぶこともお勧めします。