講師 舩越 園子
フリーライター
東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。
在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。
『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。
アトランタ、フロリダ、ニューヨークを経て、現在はロサンゼルス在住。
第69回
PGAツアーのソニー・オープンといえば、新年早々、ハワイで開催される賑やかな大会である。
タイトル・スポンサーが日本企業であるおかげで、毎年、たくさんの日本人選手がスポンサー推薦で出場することでも知られている。
昨年大会では、松山英樹が見事な勝利を飾り、日本のファンを喜ばせた。
今年のソニー・オープンでは、3日目が終わったとき、リーダーボードの上段には、26歳の米国人選手、ヘイデン・バックリーを筆頭に多彩な顔ぶれが並んでいた。
そして最終日、バックリーは初優勝に迫る好プレーを続け、追撃をかけてきた韓国のキム・シウに追い抜かれてもすぐさま盛り返す粘り強さを見せていた。しかし、15番で短いパーパットを外し、それが最大の痛手となった。
バックリーから3打差で最終日を迎えたキムは「失うものは何もない」と自身に言い聞かせながらアグレッシブなプレーを続けていた。17番でチップイン・バーディーを奪うと18番(パー5)ではフェアウエイバンカーから放ったセカンドショットでグリーンを捉え、鮮やかな2連続バーディーで締め括って単独首位でホールアウト。
単独首位でティオフしていながら、一転して追う立場で上がり2ホールに挑んだバックリーは、17番でも18番でもスコアを伸ばせず、残念ながら初優勝はお預けとなった。
だが、これまではほとんど知られていなかったバックリーの名前と存在が、このとき初めて世界に広く認識されたことは間違いない。
それと同時に、バックリーという選手が社会貢献活動に積極的に取り組んでいることも人々の知るところとなり、「素晴らしい」「これからもがんばれ」と賞賛の声が上がった。
ルームメイトに影響されて
テネシー州出身のバックリーは、ミズーリ大学ゴルフ部時代を経て、2018年にプロ転向した。
その後は、PGAツアー・カナダで1勝、下部ツアーのコーン・フェリーツアーでも1勝を挙げた後、2022年から夢にまで見たPGAツアーで戦い始めた。
そんなバックリーの存在を私が初めて認識したのは、昨年10月に千葉県のアコーディアゴルフ習志野CCで開催されたPGAツアーの大会、ZOZOチャンピオンシップのときだった。
あの習志野で、バックリーはルーキーながら5位タイに食い込んだのだが、私は彼をトップ5入りした選手として認識したというよりは、とても個性的なスイングの持ち主だなという印象を抱いた。
そう、バックリーのスイングは、テークバック始動時の両手の動きに大きな特徴がある。両手を一度持ち上げるような特殊な動きを見せるのだ。
聞けば、幼少期に彼の祖父の家にはレフティ用のプラスチック製のおもちゃのゴルフクラブがあったそうで、幼かったバックリーは何も考えずにそのクラブを手にして振っていたそうだ。だから彼は、最初は左打ちでスイングを覚え、後に右打ちへ変更した。
おそらくは、その経緯が、彼の個性的なスイングのルーツなのだと思われた。だが、正直なところ、私はその後、バックリーの名前も、ユニークなスイングのことも忘れてしまっていたように思う。
今年のソニー・オープンでリーダーボードを駆け上った彼を見て、「ああ、あのときのあの選手だ」と再び思い出した。
あらためて興味を抱き、バックリーのことをいろいろ調べてみたら、面白い話が次々に出てきた。
ミズーリ大学時代、バックリーは寮生活をしており、彼のルームメイトはカントリー・ミュージックのシンガーソングライターだった。
その影響を受けたバックリーは、自身もギターを覚え、やがてアジアに興味を抱くようになり、東南アジア各国に何度も足を運んだ。
そして、現地の子どもたちにギター演奏を披露し、すっかり仲良くなったところで、今度はゴルフのショットも披露して、ゴルフの楽しさをアジアの子どもたちに伝えるようになった。
「アジアの子どもたちの大半は英語がほとんどわからなかった。それでも音楽やゴルフを通してコミュニケーションを取ることはできて、とても楽しかった」
そうこうしているうちに、バックリーは今度はアジアの子どもたちに英語を教えたくなり、プロ転向後は、ミニツアーや下部ツアーで各国を転戦していた合間に、何度も中国に赴いて英語を教えるボランティア活動を行なっていたそうだ。
彼が昇ってきたことは幸運
そんなバックリーの父親は、かつては大学野球部で活躍していたが、ベンチ入りさせられたことがきっかけで一念発起して医大に入り直し、医学の道へ進んだという強靭な意志の持ち主だ。
その父親は、いつも左手首にリストバンドを付けており、そこには「0.006%」という数字が記されている。
「この数字は、この広大なアメリカに生きる全ゴルファーの中で、最高峰のPGAツアーにたどり着き、そこで戦う選手になることができる確率です」
そう語った父親は、わずか0.006%の狭き門を潜り抜けた我が息子を「誇りに思う」と、胸を張っている。
バックリーはPGAツアー選手としてはまだ2年目で未勝利の若者だが、それでも、自分の意志と自分なりの方法で、遠いアジアの国々にも足を運び、ゴルフや英語を教える社会貢献活動を行なっている。
そんな素晴らしい人間性を兼ね備えているバックリーが、0.006%の狭き門をくぐり抜け、PGAツアー選手になり、優勝争いを演じるところまで昇ってきてくれたことは、ゴルフ界にとっても社会にとっても幸運なこと。
私は、そう感じている。