記事・コラム 2025.01.15

ゴルフコラム

【第91回】「米国に救われた」リリア・ヴの恩返し

講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、ニューヨークを経て、現在はロサンゼルス在住。

女子ツアー(米LPGA)の2024年のプレーヤー・オブ・ザ・イヤーに輝いたのは、米国出身のネリー・コルダだった。

前年の2023年にプレーヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞したのは、やはり米国出身のリリア・ヴで、彼女は2年連続の受賞を虎視眈々と狙っていたが、ポイント制で決まるこのアワードは、2024年は残念ながらヴではなく、コルダのものとなった。

ヴは2023年はメジャー2勝を含む年間4勝を挙げたのだが、2024年はメジャー優勝は無く、年間勝利数は1勝に留まった。目標にしていたプレーヤー・オブ・ザ・イヤー連続受賞も逃してしまったが、米スポーツイラストレイテッドの取材に応えた彼女は「だからと言って、スランプだったとは言わない。それどころか、2024年は、かつて私の家族を救ってくれたアメリカの代表選手としてパリ五輪に出場することができたので、本当に本当にスペシャル・イヤーだった」と、感慨深げに語ったそうだ。

ヴが口にした「私の家族を救ってくれたアメリカ」というフレーズが、私には、とても興味深く感じられた。

家族を救ってくれた米国のために

その昔、ベトナムで暮らしていたヴの母親と祖父、数人の親族、そして近所の人々は、あるとき、ヴの祖父が手作りしたボートに乗って、祖国を逃れ、米国を目指して大海原に漕ぎ出たという。

ボートには82名もの人々が乗っていたそうだが、手作りボートの耐久性は長い航海には十分ではなかったのだろう。途中から徐々に海水が流れ込み、沈みかけていた。

「そこに、アメリカのネイビー(海軍)の船がやってきて、私の家族を含む82名全員を救助してくれた。だからアメリカは私の母や祖父、家族の命を救ってくれた恩人なのです」

米国に辿り着いたヴの家族は、カリフォルニア州オレンジカウンティで暮らし始め、そこでヴの母親はヴの父親と出会って結婚。そして生まれたのが、リリア・ヴだった。

7歳からゴルフを始めたヴは、めきめき腕を上げ、米国のジュニアゴルフ界で数々のタイトルを獲得した。

大学は名門UCLAへ進み、ゴルフ部で腕を磨いた上で、卒業後の2019年にプロ転向した。

しかし、プロとしてのヴのキャリアは、山谷の連続だった。

シード権を維持することは想像以上に難しく、下部ツアーのシメトラツアーとの間を往復した日々は「ゴルフをやめようと何度も思った」そうだ。

だが、母や祖父が沈みかけたボートの上でも諦めず、そのおかげで幸せな生活を手に入れたことを思い出しては、それを糧にして踏ん張ってきたという。

2022年にLPGAのツアーカードを取り戻し、そして迎えた2023年シーズンの2月にホンダLPGAタイランドで悲願の初優勝を挙げた。

4月にはメジャー大会のシェブロン選手権を制し、8月には全英女子オープンでも勝利を挙げて、メジャー2冠を達成。

世界ランキングでも、女王として君臨していたネリー・コルダを押し出し、堂々1位へ。米国人女子選手としては史上4人目の「世界一」に輝いた。

その後、11月のアニカ・ドリブン・バイ・ゲインブリッジ・アット・ペリカンでも勝利を挙げて、年間4勝を達成したヴは、夢にまで見たプレーヤー・オブ・ザ・イヤーに輝き、「最高の1年だった」と喜びを噛み締めた。

しかし、2024年は6月のマイヤーLPGAクラシック」の1勝のみに留まり、世界ランキングは5位でシーズンを終了。

それでも彼女は「家族の命を救ってくれた米国の代表としてパリ五輪を戦うことができた2024年は、スペシャル・イヤーだった」と、しみじみ振り返った。

ゴルフも人生も旅なのだから

そんなヴが常に心がけているのは「調子がいいときも悪いときも、目の前の現実に対応できるようメンタルを強くすること」。

ゴルフも人生も何が起こるかは本当にわからず、何かが起こったときには、対応力と順応力、そして「どんなことにも対応できるよう、メンタルを常にヘルシーな状態にして、ベストを尽くすことが大事。ゴルフも人生もジャーニー(旅)なのだから」と、ヴは強調していた。

そして、もう1つ、ヴが心がけているのは「感謝」と「恩返し」だ。

「助けを必要としている子どもたちや若者の役に立ちたい。夢を持たせ、広げてあげたい」

かつて自身の家族が助けられ、夢を広げる手助けを得たことに心から感謝している彼女は、その恩返しとして、今度は自身が米国の人々の役に立ちたいと願っている。

2024年に勝利を挙げたマイヤーLPGAクラシックの優勝賞金から2万5000ドルを子どもたちのための福祉財団へ寄付したのも、そんな気持ちの表れだった。

さらにヴは、ゴルフを広め、ダイバーシティ拡大に貢献しているアーキス・ゴルフ社のブランド・アンバサダーに就任。

同社は、ウイメン・イン・ゴルフ財団やナショナル・ウイメンズ・カレッジゴルフ・チャンピオンシップなどをスポンサードしており、オーガスタ・ナショナル女子アマチュアの試合会場の1つであるジョージア州のチャンピオンズ・リトリートGCも取得して、老若男女を問わず、ゴルフを普及させることに寄与している。

そんなアーキス・ゴルフ社とアンバサダー契約を結んだヴは、同社のロゴマークを付けてプレーし、さまざまなイベントにも参加。

「ゴルフを通じて、私が人々の役に立つことができたら、それが何よりうれしい」

絶好調だった2023年と比べれば、2024年は勝利数もアワードも減ってしまったが、「どんなときも、どんなことにも対処できるよう心を強くすることが大事。ゴルフも人生も、常に旅なのです」

私も、ヴの言葉を胸に抱き、強い心を抱いて、ゴルフと人生の旅を楽しみたいと思う。