講師 舩越 園子
フリーライター
東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。
在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。
『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。
アトランタ、フロリダ、ニューヨークを経て、現在はロサンゼルス在住。
第80回
PGAツアー選手のキーガン・ブラッドリーは現在37歳の米国人選手。これまでに通算6勝を挙げているが、ブラッドリーの名前が全米、いや世界に知れ渡ったのは、PGAツアーにデビューしたばかりのルーキーイヤーにいきなりメジャー大会を制覇した2011年の全米プロのときだった。
あのときのブラッドリーはロングパターの一種である中尺パターを握り、難しいパットを次々に沈め、弱冠25歳の新人にして、メジャー優勝をやってのけた。
ロングパターを武器にしてメジャー大会を制したチャンピオンは、あのときのブラッドリーが史上初となり、ロングパターによるメジャー制覇は当時のゴルフ界においては実に衝撃的だった。
そして、世界各国から集まっていたメディアの大半は、最初のうちはブラッドリーという選手を初めて目の当たりにして「あの選手は一体何者なのか?」と首を傾げていた。
だが、いざ勝利した彼のバックグラウンドをよくよく尋ねてみると、驚きの事実が次々に判明した。ブラッドリーの叔母は、米LPGAのレジェンドで世界ゴルフ殿堂入りも果たしているパット・ブラッドリー。彼の父親は元プロテニスプレーヤーのマーク・ブラッドリー、母親は元プロフィギュアスケーターのケイ・ブラッドリーであることもわかった。ある意味、ブラッドリーは優れたアスリートの血を引くサラブレッドだったのだ。
しかし、さらによくよく尋ねてみたら、ブラッドリーは、サラブレッドでありながら、なかなかの苦労人であることがわかった。
そして彼は、チャリティ活動に取り組んでいる選手としては、米ゴルフ界ではおそらくトップ5、いやトップ3に数えられるほどの熱心で心優しいプレーヤーだ。
トレーラーハウスで暮らした日々
ブラッドリーは米バーモント州で生まれ、幼いころは「父の職場が僕の遊び場だった」と振り返った。
父マークはプロテニスプレーヤーだったが、引退後はゴルフに転向し、州内のゴルフ場でクラブプロとして働いていた。そのゴルフ場に毎日通っていたブラッドリーは、当たり前のようにゴルフの腕を上げていった。
しかし、「僕が高校生のとき、両親が離婚し、父と僕は小さなトレーラーハウスで生活するようになった。それは、隣のマサチューセッツ州内で最強のゴルフ部を持っていたハイスクールに僕が通うためでもあったんだけど、家やアパートではなく安いトレーラーハウスに住んでいたのは、父の稼ぎが少なかったからだ。狭かったけど、父とあそこで暮らした日々は、映画の『ティンカップ』みたいに夢見る日々で楽しかった」
セント・ジョンズ大学を卒業後、2008年にプロ転向。草の根のミニツアーや下部ツアーを経て、2011年にPGAツアーに辿り着いた。
貧しい生活さえもが楽しかったと明かし、幸せいっぱいの気持ちを抱いてPGAツアーにデビューしたブラッドリーは先輩選手たちからも愛される存在となり、とりわけフィル・ミケルソンから可愛がられていた。
「メジャーでは、いつどこでどんなことが起こっても反応しないよう努めることが大事だと、フィルがアドバイスしてくれた。あるホールで大叩きしても決して動揺せず、ホールインワンしてもイーグルを奪っても決して過剰に喜ばず、まあ、そんなこともあるさって感じに流せってね」
ミケルソンの助言を忠実に守ったブラッドリーは、そのおかげもあって、デビュー年の2011年に全米プロで勝利を飾り、ロングパターでメジャーを制覇した初のチャンピオンとなった。
どんなときも心優しい
トレーラーハウスで父親と2人で暮らしていた貧しい日々に、ブラッドリーが抱いた夢は「プロになったら、できる限り、チャリティ活動をする」ことだったそうだ。
「助けを必要としている子どもたちやその家族の役に立てる存在になりたい。自分ができることを何でもやってあげたい。手を差し伸べたい」
そう心に誓ったブラッドリーは、2011年の全米プロ優勝直後に「キーガン・ブラッドリー・チャリティ財団」を創設し、自身の謝意貢献活動の基盤を築いた。
さらにブラッドリーは、自身の名を冠したチャリティ・ゴルフトーナメント「キーガン・ブラッドリー・チャリティ・クラシック」も立ち上げ、毎年、この大会を開催しては、得られた収益を故郷の小児病院などへ寄付している。
2012年にはバーモント州一体が大洪水に見舞われ、大勢の地元民が被害を受けたが、そのときもブラッドリーは、いの一番に被災地と被災者へ寄付金を贈った。
2012年以降はスランプに陥り、6年間、勝利から遠ざかったが、自身が不調で勝てなかった冬の時代にも、ブラッドリーはそれまでと同様、チャリティ活動を積極的に行ない、寄付を行ない続けた。
2018年のシーズンエンドにBMW選手権で6年ぶりの復活優勝を果たしたが、以後、彼は再び勝てない日々を過ごした。そして2022年10月、日本で開催されたZOZOチャンピオンシップで4年半ぶりの勝利を挙げ、涙を見せた。昨夏は、トラベラーズ選手権を制し、通算6勝目を挙げた。
眩しいスポットライトを浴びたときも、陽の当らない暗い道を歩んでいたときも、どんなときでも、ブラッドリーは決して変わらず、いつも社会的弱者に優しい視線を向けている。
PGAツアー選手たちの多くが「キーガンは、とてもナイスガイだ」と絶賛しているが、そのワケは、かつて彼がロングパターでメジャー大会を制したチャンピオンだからではなく、通算6勝を挙げているトッププレーヤーだからでもない。
苦労を乗り越えてPGAツアー選手になったブラッドリーは他人の痛みや苦しみにとても敏感で、困っている人や苦しんでいる人を見ると、手を差し伸べずにはいられなくなる。
そんな心優しいチャンピオンだからだからこそ、彼は誰からも愛され、リスペクトされているのだと私は思う。