記事・コラム 2023.12.15

ゴルフジャーナリストが見た、プロゴルファーの知られざる素顔

【2023年12月】奇跡の復活優勝、「ミーアのミラクル」

講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、ニューヨークを経て、現在はロサンゼルス在住。

第78回

今年11月、PGAツアーの2023年シーズンを締め括るフェデックスカップ・フォールの大会、バターフィールド・バミューダ選手権で、コロンビア出身の41歳、カミロ・ビジェガスが9年ぶりの復活優勝を果たした。

ビジェガスと言えば、彼がPGAツアーにデビューした2006年ごろは、地面に這いつくばるようにしてグリーンを読む彼の独特のポーズが大きな話題になり、彼は「スパイダーマン」と呼ばれていた。

その時代を知っている昔ながらのゴルフファンは、久しぶりにビジェガスの雄姿を目にして懐かしさを覚えたことだろう。

ビジェガスの長女が病に襲われ、以後、彼が戦線から離れたことを知っていたゴルフファンは、久しぶりに彼の明るい笑顔を目の当たりにして安堵を覚えたのではないだろうか。

そう、プロ転向から17年。最後に勝利を挙げた2014年から9年。ビジェガスの人生には、本当にいろいろなことが起こったものだと、今、あらためて思う。

母国の人々のために

コロンビア出身のビジェガスは、大学からは米国のフロリダ大学へ留学。卒業後の2004年にプロ転向し、下部ツアーを経て2006年からPGAツアー参戦を開始した。

デビュー早々、何度も優勝争いに絡み、瞬く間に大人気になった。人気を博した理由の1つは、PGAツアーで5本の指に数えられるほどの飛ばし屋だったこと。パワーアップのために彼はツアーで最も厳しいトレーニングを積んでいると噂されていた。

真っ赤なシャツで身を包んだ翌日は、上下白ずくめにオレンジ色のベルトとオレンジ色のワニ革シューズといった派手な出で立ちを披露。ファッショナブルなイケメンの周囲には、女性ファンの黄色い声が常に飛び交っていた。

だが、彼が大人気となった最大の要因は、パットのラインを読む際の「スパイダーマン」ポーズだった。

フロリダ大学ゴルフ部時代からビジェガスのメンタルトレーナーを務めていたスポーツ心理学者のジオ・バリアンテ博士は、「ビジェガスは突進型に見えるが、実はすごい完璧主義者。ラインを読むときは、できるだけ低い位置からグリーンを眺め、正確に読みたいと言い出し、あの奇妙なポーズが生み出された」と、こっそり教えてくれた。

実際、スパイダーマンのグリーンの読みは、きわめて正確だったのだろう。2008年にはプレーオフ・シリーズのBMW選手権で初優勝。そして最終戦のツアー選手権を制し、大きな注目を集めた。

さらにビジェガスは2010年ホンダクラシックで通算3勝目、2014年ウインダム選手権で4勝目を挙げ、順風満帆なキャリアを意気揚々と邁進していた。

2008年ドイツ銀行選手権で王者タイガー・ウッズと優勝争いを演じた際は、その映像が世界160か国に届けられた。ビジェガスの母国コロンビアでは、それまではゴルフのテレビ中継が皆無だったそうだが、彼の活躍が引き金となり、彼が戦う姿はコロンビア初のゴルフ中継として母国に映し出された。

「僕のゴルフを見て、コロンビアの人々に笑顔が戻ってくれたらいい」

政情不安が続いていた母国を案じ、悲哀を漂わせた彼の真剣なまなざしは、米国や世界のゴルフファンの心を捉え、大勢の人々が「カミロ!カミロ!」と彼にエールを送った。

小さな祈りが大きなインパクトになる

眩しいキャリアを築き始め、結婚し、長女ミーアを授かったビジェガスは、私生活でも充実して幸せいっぱいの様子だった。

だが、ある日、ミーアは脳腫瘍と診断され、辛い闘病生活を余儀なくされた。

治療法はないのか?効果的な薬はないのか?ミーアを救える病院は世界中のどこにもないのか?

悲痛な声を発し、方々を奔走したビジェガスの成績は一気に下降。そして彼は戦線から離れ、すべての時間とエネルギーをミーアのために費やした。

しかし、6カ月にわたる闘病を経て、ミーアは2020年7月に天国へ逝った。

2歳のバースデーすら迎えられず、生後22か月でこの世を去った娘のあまりにも短かった命を思うと、「やりきれない気持ちになった」とビジェガスは振り返った。

そして彼は愛妻マリアと話し合い、「自分たちと同じように大変な現実に直面している子どもたちや家族をサポートしよう」と思い立って、自身の財団を創設。「ミーアのミラクル」と名付け、活動を開始した。

「小さな祈りが大きなインパクトになる」をスローガンに掲げるビジェガスの財団は、経済的、精神的、肉体的なサポートを必要としている子どもたちや家族のために寄付を募る活動を主体としている。

ビジェガス夫妻の地道な取り組みは米国で評価され、地元フロリダ州のパームビーチ小児病院やジャック・ニラク小児病院などとのコラボレーションも実現した。数々の企業も協賛し、「ミーアのミラクル」の手助けを得た子どもたちが、ゴルファーやスイマー、ランナーといったアスリートとして巣立っていった例もすでにあるという。

「子どもたちが元気や勇気を得て、笑顔を取り戻し、明るく生きていく。それこそが、ミーアの奇跡だ」

最愛の娘を失った深い悲しみを乗り越え、新たに授かった息子はすくすく育って2歳になり、ビジェガス自身にも元気や勇気、笑顔が戻った。

そして今年11月、バミューダ諸島で開催されたPGAツアーの大会で9年ぶりの復活優勝を遂げ、涙を見せた。

「不思議なほどのエネルギーが漲るのを感じた。きっとミーアが空の上から応援してくれているからに違いない」

ビジェガスの復活優勝は、まさに、奇跡の物語だった。