講師 舩越 園子
フリーライター
東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。
在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。
『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。
アトランタ、フロリダ、ニューヨークを経て、現在はロサンゼルス在住。
第68回
2023年の年明け早々、米ゴルフ界で珍事が起こった。
今年のマスターズ出場資格を手に入れているスコット・ストーリングスという米国人選手の元に、昨年のうちに届くはずだったオーガスタ・ナショナルからのマスターズ招待状が、待てど暮らせど届かず、「どうして僕には招待状が来ないんだ?」と不安に思っていたところ、同姓同名の別人の家に届いていたという珍しい出来事だった。
ストーリングスはクリスマスの少し前から「1日に5回も6回も郵便受けをチェックしていた」そうだが、いくら覗いても、待ち侘びていた緑色の封筒は見当たらず、「何か特別な理由で僕の出場が取り消されてしまったんだろうか?」と心配になっていた。
だが、暦が2023年に変わるやいなや、ストーリングスのSNSのアカウントに、まったく知らない人物からダイレクト・メッセージが寄せられ、その文面を見たストーリングスは仰天させられ、そして大喜びした。
そのメッセージは同姓同名の「もう一人のスコット・ストーリングスさん」から送られたこんな内容だった。
「ハロー、スコット!僕の名前は、あなたと同じスコット・ストーリングスです。僕の妻の名前は、あなたの妻と同じジェニファーです。僕はジョージア州に住んでいますが、テネシー州にコンドミニアムを持っていて、どうやら僕のコンドミニアムはあなたの自宅の近くのようです。
そこにマスターズの招待状が届いたのですが、この招待状、100%僕宛ではないと確信しました。僕もゴルフをしますが、マスターズに招待されるほどの腕前ではありませんからね。
きっと僕の名前と僕の妻の名前が、あなたとあなたの奥さんの名前と同じで住所も近いことで混乱が起こったのですね。
連絡をいただければ、僕は喜んでこの招待状をあなたに送りますよ」
偶然に偶然が重なった末の配送上の手違いだったようだが、ともあれ、同姓同名の人物がナイスガイだったおかげで、招待状は無事にストーリングスの元に届けられ、この珍事は一件落着となった。
人生の岐路とインスピレーション
ストーリングスは37歳の米国人選手。マサチューセッツ州で生まれ、テネシー州で育ち、現在もテネシー在住だ。
地元のテネシー工科大学を卒業後、2007年にプロ転向。下部ツアーを経て、2011年からPGAツアー参戦を開始し、2011年に初優勝、2012年に2勝目、2013年に3勝目を挙げて順調に成績を向上させていた。勝利を挙げたことで、マスターズにも3年連続で出場したが、その後は勝利から遠ざかり、オーガスタ・ナショナルからも遠ざかってきた。
だが、昨年は安定して好成績を重ね、最終戦のツアー選手権に出場したことで2023年マスターズの出場資格を満たし、生涯4度目となるマスターズ挑戦に胸を躍らせていた。
だからこそ、オーガスタ・ナショナルからの招待状が届く日を、ストーリングスは心待ちにしていたのだ。
ストーリングスがどんな人柄で、どんな選手であるかは、日本ではあまり知られていないと思うのだが、彼はインスピレーションを大切にするタイプであり、自身の人生の岐路で必ず強いインスピレーションを得てきたという。
たとえば、ストーリングスは12歳だった1997年にタイガー・ウッズがマスターズを2位に12打差で圧勝した様子を目にして「ビビッと感じるものがあった」。
その日を境に、彼は他のスポーツをすべて止め、ゴルフだけに専念。プロゴルファーへの道を突進し始めたそうだ。
固い意志を貫き通してプロゴルファーになったが、「もしもプロゴルファーになっていなかったら、小児科医になっていた」というほど、ストーリングスは子どもが好きで、そして誰かのために役に立つこと、誰かを助けることが好きなのだそうだ。
いざ、プロゴルファーになってから、一番心が揺さぶられた日は、「アーミー(米陸軍)の舞台に赴き、戦地から帰還した負傷兵にゴルフを教えた日だ」とストーリングスは振り返った。
手や足を失った元兵士たちが、肉体的ハンディキャップをモノともせず、果敢にゴルフに挑む姿を目にして「圧倒された」というストーリングスは、以来、負傷兵を支援する米国の非営利団体「ウーンデッド・ウォリア・プロジェクト」の活動に参加し始め、アフリカなどの未開地の人々を支援する活動にも加わり始めたそうだ。
ジュニアゴルフ天国へ
やがてストーリングスは、プロゴルファーだからこそできる社会貢献をしようと思い立ち、「スコット・ストーリングス・キッズ・プレー・フリー・ジュニアゴルフ・イニシアチブ」という活動を立ち上げた。
地元テネシー州のゴルフ連盟の協力を得て、州内のビバリー・パーク・ゴルフクラブで「18歳以下の子どもは、365日、いつでも無料でラウンドできる」というシステムを作り出したところ、大きな反響を得た。支援を申し出る企業やゴルフ場も増えていき、2018年には州内の2コースが、2021年には4コースが子どもたちに無料ラウンドを提供するようになった。
創設以来、この8年ほどで3000人以上の子どもたちが延べ29000ラウンドを楽しんだ。
そして昨年は、ストーリングスの名の下に4人1組で戦うチャリティ・トーナメントも開催。チームごとのエントリー・フィーは1300ドルと高めに設定。そこから得られた収益のすべてが、子どもたちの無料ラウンド・プログラムに寄付された。
ストーリングスのそうした熱心なチャリティ活動のおかげで、いまやテネシー州はジュニアゴルフの天国になりつつある。
待ちに待ったマスターズ招待状が誤って同姓同名の別人宛に送られるという珍事に巻き込まれたとはいえ、その別人が良き人柄の持ち主で、最終的にはハッピーエンドになったことは、ストーリングスの日ごろの行ないを神様が見ていたからかもしれないと私には思える。
そういえば、この珍事には後日談があった。ストーリングスは、招待状を受け取って転送してくれた親切な「ストーリングスさん」を今年のマスターズの練習日にオーガスタ・ナショナルへ招待したそうだ。
新年早々、思わず笑顔になるグッド・ストーリーだった。