記事・コラム 2022.10.15

ゴルフコラム

【第64回】全英女子オープン覇者がプロゴルファーである理由

講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、NY、ロサンゼルスを経て、現在は日本が拠点。

今年の全英女子オープンで4ホールに及んだサドンデス・プレーオフに敗れた韓国出身のチョン・インジの話は、先月のこのコーナーで紹介したばかりだが、今回は、そのサドンデス・プレーオフを制し、メジャーの栄冠を掴み取った南アフリカ出身の33歳、アシュリー・ブハイのことをお伝えしようと思う。

振り返れば、ブハイは3年前、2019年の全英女子オープンの最終日最終組を日本の渋野日向子とともに回っていた。

そして、徐々に優勝争いの圏外へと後退していったブハイは、72ホール目で渋野がウイニングパットを沈めた瞬間、両腕を挙げながら飛び跳ねるようにして渋野の優勝を祝福した。

あのときのブハイ自身は、ツアー12シーズン目にして、まだ勝利の喜びを知らなかったのだが、それでも初出場にして笑顔を振り撒きながらいきなり初優勝を遂げた渋野の勝利を彼女は我がことのように喜び、心の底から「おめでとう」と言っていた。

その姿は世界中のゴルフファンから「グッドルーザー」「ゴルファーの模範」と賞賛された。

その後、ブハイは2020年の米LPGAの大会キャンビア・ポートランド・オープンでも初優勝に王手をかけた。しかし、ジョージア・ホールとのサドンデス・プレーオフに敗れ、なかなか初優勝を挙げることができずにいた。

だが、今年の全英女子オープンでは、2位に5打差の単独首位で最終日を迎え、3年前の再現のように、またしても渋野とともに最終組。

残念ながら渋野は3位に終わったが、ブハイとチョンはサドンデス・プレーオフへ突入。

18番を4度も繰り返した4ホールの戦いを経て、ツアー初優勝をメジャー勝利で飾ったブハイは、ウイニングパットを沈めた瞬間、その場で顔を覆い、動くことができなかった。

猛スピードで駆け寄った夫に抱き上げられ、次々に走り寄ったたくさんの友人や家族に、次々に思い思いの方法で祝福され、もみくちゃにされて何が何だかわからないという表情で勝利の味を噛み締めていたブハイの姿が、とても愛らしかった。

優勝スピーチでは、笑顔を輝かせながら、愛する夫とキャディへの感謝を口にした。

「キャディのトーニャは、終始、私を笑顔にしてくれた。彼女のおかげで、私はスマイルを維持しながら戦うことができた。そして、夫は、山あり谷ありの私のこの15年をずっと支えてくれた。ありがとう」

最後は笑顔が涙になった。スマイルがもたらした勝利と感動の涙。まるでドラマのような展開の全英女子オープンだった。

悲願の初優勝まで

南アフリカのヨハネスバーグで生まれたブハイは、父親の手ほどきで6歳からゴルフクラブを握り、瞬く間に頭角を現した。

南アフリカ・アマチュア・ストロークプレー・チャンピオンシップでは2004年から2007年まで4連覇。南アフリカ・アマチュア・マッチプレー・チャンピオンシップでは2004年、2006年、2007年と3勝を達成。レディス・南アフリカン・オープンを3度制し、同国101年のゴルフ史上、初の快挙を成し遂げた。

2007年5月にプロ転向。同年、欧州女子ツアーを18歳で制し、同ツアー史上最年少優勝。

欧州のみならず世界の舞台を目指し、2014年から米女子ツアー(LPGA)に参戦を開始した。米国でも初優勝は時間の問題だと言われていたが、何度も上位入りを果たし、優勝争いにも絡みながら、どうしても勝てないことの連続だった。

それでもブハイは勝利を目指して戦い続け、2016年にはリオ五輪に出場。そして2019年には全英女子オープンで初優勝ににじり寄ったが、夢にまで見たメジャー・タイトルを手にしたのはブハイではなく渋野だった。

それでもなおブハイは渋野の勝利を飛び跳ねながら喜び、賞賛したからこそ、世界がブハイを「素晴らしい」と讃えた。

そして、今年の全英女子オープンを制したのが、そうした経緯を経たブハイだったからこそ、誰もがブハイの悲願の初優勝に惜しみない拍手と賞賛を送った。

「そのためにプロゴルファーになった」

ブハイの夫であるデビッド・ブハイは、米LPGAで選手のバッグを担ぐプロキャディだが、妻のバッグは担いでいない。

しかし、妻は選手として、夫はキャディとして、それぞれ独立して自分の仕事を全うしようとする考え方や姿勢には、毅然としたプロフェッショナリズムが感じられる。

だが、ブハイの素顔はとても心優しく、とりわけ子どもや社会的弱者に向ける視線は温かい。

米国のメイク・ア・ウィッシュ・ファウンデーションをモデルにして、南アフリカに1988年に創設された「リーチ・フォー・ア・ドリーム」は、重い病気と闘っている3歳から18歳までの子どもたちの夢を叶えることをミッションに掲げ、活動を行なっている福祉団体だ。

ブハイは、プロゴルファーになった当初から、この団体を精力的にサポートしており、「子どもたちのため、病いと戦っている人々のために役に立ちたい。そうするために私はプロゴルファーになったんです」と語っている。

何度負けても、腐ることなく、投げ出すことなく、決して諦めずに戦い続けてきたブハイの姿勢は、きっと闘病中の子どもたちにとっても大きな励みになり、勇気や元気をもたらしたのではないだろうか。

プロ転向以来、14年超。ネバーギブアップの精神で頑張り続ければ、いつかきっと報われることを、今年の全英女子オープンを制覇したブハイが、世界中に教えてくれたように思う。