記事・コラム 2019.12.15

ゴルフジャーナリストが見た、プロゴルファーの知られざる素顔

【第30回】ゴルフ界の「子育て」と「本当の女王」

講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、NY、ロサンゼルスを経て、現在は日本が拠点。

 かつて、アメリカの女子ゴルフ界で長年、女王の座に君臨していたのはスウェーデン出身のアニカ・ソレンスタムだった。そして、ソレンスタムの引退後、女王の座を引き継いだのはメキシコ出身のロレーナ・オチョアだった。
 だが、オチョアはまだまだこれからと思われた2010年5月に28歳の若さで突然の引退宣言。あのときは世界のゴルフ界が仰天したが、「母国に帰り、結婚して子育てをしたい」というオチョアの決意は固かった。
 オチョアが望んでいた「子育て」には、自身の子どもだけではなく、母国や世界のどこかの国々で病気や貧困、暴力などによって困窮している大勢の子どもたち、あるいはプロゴルファーを目指して頑張っているものの、目の前の障害と戦っている子どもたち、そうした「すべての子どもたち」に手を差し延べたいという願いが込められていた。

謙虚で真摯な女王

 メキシコで生まれ育ったオチョアがゴルフクラブを握ったのは5歳のときだった。彼女はすぐさま頭角を現し、メキシコ国内のゴルフ競技で8勝を挙げて、「スーパージュニア」と呼ばれるようになった。
 同時に彼女は登山からハーフマラソン、トライアスロンにいたるまで、さまざまな競技に挑戦し、ときには、その過酷さに涙を流したこともあった。
 だが、兄に励まされ、泣きながらゴールした経験を通じて、彼女の中にネバーギブアップの精神や思いやりの心が醸成されていったのだろうと思う。
 メキシコのナショナルチャンピオンに輝いた後、オチョアはアメリカのアリゾナ大学へ留学。米国のカレッジゴルフ界で12勝を挙げ、2002年にプロ転向した。そして下部ツアー(現シメトラツアー)で賞金1位になり、2003年に一流の舞台である米LPGAにデビューした。
 それから参戦わずか4年目に賞金女王レースでソレンスタムを大きく引き離し、1位の座を独走。メジャー2勝を含む通算27勝を挙げ、ソレンスタムに代わる新たな女王として、女子ゴルフ界の頂点に立った。
 だが、女王と呼ばれても、オチョアの謙虚な姿勢が変わることはなく、彼女はどんなときも、誰に対しても、常に優しい視線を向けていた。

 アメリカ国内のゴルフ場で働く作業員にはメキシコ人が多い。とりわけメキシコとの国境に近いロサンゼルスやサンディエゴのゴルフ場には、英語がほとんどわからないメキシコ人作業員が大勢働いている。
 泥まみれになって草をむしったり、芝をいじったりと肉体的にハードな仕事をしている人々が多いが、不法滞在者となれば、賃金は極端に低く、生活は困窮をきわめる。それでも彼らは母国に残してきた家族へ仕送りをするために必死だ。
 オチョアはツアーを参戦している合間にも、時間を作っては、そうしたメキシコ人の作業員たちを集め、励ましていた。
 彼らの大半はゴルフをする経済的余裕はなく、だからオチョアは彼らにゴルフを教えていたわけではなかったが、「私もみなさんと同じメキシコ人であることを誇りに思います」とオチョアが語りかければ、苦しい生活を送っていた作業員たちにとっては、それが大きな励みになっていた。

 そう、オチョアはゴルフ界の女王であると同時に、メキシコ人の憧れの的であり、輝けるヒロインだった。彼女の存在は、母国の貧しい人々の生きる望みとなっていた。
 アメリカの大地の上で生きる外国人という共通点を持つ選手たちにも、オチョアは常に手を差し延べていた。日本人の宮里藍をはじめ、韓国や中国、東南アジア、南米出身の選手たちも何かにつけてオチョアに助けられ、そして彼女たちもオチョアを慕っていた。
 取材する私たちメディアに対しての気配りも忘れず、いつも誠意を尽くして対応してくれた。1対1のインタビューでは、常に目を見ながら真剣に応えてくれた。
 オチョアとは、そういう謙虚で真摯な女王だった。

これぞ、本当の女王

 今から12年ほど前のこと。オチョアはメキシコ人の知人らとともに、下部ツアーで腕を磨いていた2人のメキシコ人選手の経済的支援を開始した。
 その2人は、後に晴れて米LPGAで戦うプレーヤーになり、さらに数年後、どちらも現役から引退した。
 そして、その2人は、かつて下部ツアー時代に自分たちをサポートしてくれたオチョアらが続けている支援の輪に加わり、未来のメキシコ人選手たちを育てていくファンドを一緒に立ち上げた。
 オチョアを筆頭とするこのファンドが現在サポートしているのは、シメトラツアーや米LPGAを目指しているメキシコ出身の14名の若い女子選手たちだ。
 そのサポートのための仕組みは、なかなかユニークである。試合に挑む際に必要となるエントリーフィーとして、まず450ドルをファンドが選手に支給する。選手は予選通過さえできれば、最低限の賞金を獲得できるため、その賞金から450ドルをファンド側へ返金するという「出世払い」方式だ。

 とはいえ、選手たちの予選落ちが続けば、「出世払い」は成立せず、ファンドからの持ち出しばかりがかさんでしまうため、支援グループの運営や維持は大変である。
 そんな現状を知り、ミッシェル・ウィーやナタリー・ガルビス、ブリタニー・リンシコムといった米国人選手たちが自費でメキシコシティまで出向きも、オチョアらのファンドを支援している。
 さらには、ナンシー・ロペスなどメキシコ出身の往年の名選手たちも「できる限りのことをします」と協力を申し出てくれているそうだ。
 オチョアに女王の座を奪われたソレンスタムも、スキー界の女王リンゼイ・ボンも、「私たちも何でもするわ」という具合で、頼もしい援軍がどんどん増えて広がっている。
 経済的理由でプロへの道を諦めかけているメキシコ人選手たちを助けようと奔走しているオチョアらを、周囲の仲間、世界中の人々が助けようとしている。

 これが次代のゴルフ界の担い手を「育てる」ということなのだろう。子どもたち、若者たちをゴルフの世界で育成するとは、こうやって支援の輪を広げていくことなのだと、あらためて頷かされた。
 若くして現役引退を決意し、女王の座に未練も示さず潔く身を引いたオチョアだが、母国メキシコはもちろんのこと、米国や世界各国の「すべての子どもたち」の育成に尽力している引退後のオチョアは、だからこそ、今こそゴルフ界の真の女王であると私は秘かに思っている。