講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、NY、ロサンゼルスを経て、現在は日本が拠点。

 ジェイソン・デイは2015年の全米プロを制したメジャー覇者。米ツアー通算12勝を誇り、世界一に輝いた実績もある。だが、彼がそんな光り輝く世界に到達するまでには壮絶な日々があった。そして、辛酸を舐めた人だからこそ、その後の彼は誰よりも優しい。

 2008年から米ツアーで戦い始めたデイは、最初のうちは鳴かず飛ばずの普通の選手だった。だが、2010年のバイロン・ネルソン選手権でようやく初優勝を遂げ、翌年にはマスターズでも全米オープンで優勝争いに絡んで2位に食い込み、未来のメジャーチャンピオン候補として注目を集め始めた。

 私が彼に初めて1対1のインタビューをしたのは、ちょうどそのころだった。笑顔を輝かせていたデイから衝撃的な事実を知らされ、たいそう驚かされた。

 「ゴルフに出会っていなかったら、今ごろ僕は間違いなく、母国でジェイル(刑務所)に入っていたはずだ」

 デイが過ごした幼少時代、ティーンエイジャー時代に「明るい未来は無かった。僕の未来の行く先に見えたものはジェイル以外には無かった」
 彼は、そう振り返った。

僕の家は貧しかった

 オーストラリア・ブリスベンで生まれたデイがゴルフを始めたのは3歳のときだった。ゴルフをしたことがなかった父親が近所のゴミ置き場に捨ててあったゴルフクラブを自宅に持ち帰り、「ジェイソン、どっちが先に上手くなるか競争しよう」と息子を誘った。
 それからというもの、父と子はゴルフに夢中になり、マスターズや全米オープンのテレビ中継にしばしば見入った。

 しかし、デイが12歳のとき、父親は肺がんを患い、あっという間に命を落とした。大好きだった父親が突然、この世から居なくなった現実をデイ少年は受け入れることができなかった。

 父の死とともに、デイにとってのゴルフは無味乾燥なものと化し、彼の生活は日に日に荒廃していった。学校に行けばケンカを繰り返し、学校に行かなければ酒、タバコ、パーティーナイトを繰り返した。

 しかし、それは悲しみから逃れようとしていたデイの一時的な仮の姿だったのだろう。心の奥底には「立ち直りたい」という気持ちがあり、ゴルフの盛んな全寮制ボーディングスクールの存在を知ったデイは、母親デニングに「この学校に入りたい」と申し出た。

 デイには2人の姉がいた。父親が亡くなって以来、母デニングは女手一つで3人の子供たちを育てていたが、一家の生活は赤貧状態だったという。
 「家の湯沸かし器が壊れても、修理するお金は無かった。僕や姉たちがお風呂に入るとき、母は大きなヤカンで何度もお湯を沸かしてはバスルームまで運んでくれたけど、お湯が沸くまでには時間がかかるから、僕らのバスタイムはとても長かった。草刈り機が壊れてからは、母は庭中の雑草を小さなナイフで1本1本、我慢強く刈り続けていた」

 それほど経済的に困窮していたというのに、母デニングは息子に立ち直ってほしい一心で、小さな家を二重抵当に入れ、いくつもの仕事を掛け持ちして高額な学費を工面。デイをボーディングスクールへ送り出した。

 寮に入り、タイガー・ウッズの本に出会ったデイは、いつの日か米ツアーにデビューし、ウッズのようなプロゴルファーになることを目指し、ゴルフの腕を必死に磨いた。

 2006年にプロ転向。大志を抱いてアメリカへ渡り、下部ツアーのウエブドットコム・ツアーで1勝を挙げた後、2008年に夢にまで見た米ツアーに辿り着いた。

「もっと輝く未来の日々を――」

 2010年に初優勝を挙げ、メジャー大会で何度も優勝争いを演じたデイは、その一方で、腰や頸椎、足の指などの故障に悩まされ、なかなか勝利を挙げられなかった。

 だが、アメリカ人のエリーと結婚し、エリーの故郷オハイオ州コロンバスに居を構えたデイは、長男ダッシュくんにも恵まれ、幸せな家庭を築き始めた。幼少時代に味わうことができなかった幸せで豊かな生活は、明るい未来を毎日実感させてくれるようになった。

 その幸福感がビッグな優勝をもたらしたのかもしれない。2014年、世界選手権シリーズのマッチプレー選手権を制し、米ツアー2勝目を挙げたデイは、自分が享受できるようになった幸せを、「昔の自分」のような生活を強いられている子供たちと分かち合いたいと願い、愛妻エリーとともにチャリティ財団を設立した。

 2015年、デイ夫妻が地元オハイオ州に設立した財団は「ブライター・デイズ財団(Brighter Days Foundation)」と名付けられた。「ブライター(Brighter)」は「もっと輝く」の意。「デイズ(Days)」は彼の姓である「デイ」と「日々」を掛け合わせたもの。貧困や暴力に苦しめられ、失望や絶望の淵にある子供たちに「もっと輝く未来の日々を――」。
 それは、少年時代のデイが輝く未来を想像することができなかったからこそ、今、抱いてる願いなのだ。

 地元の非営利団体などと連携しながら、チャリティ・トーナメントやチャリティ・コンサートを開き、コンサート後はチャリティ・ディナーとサイレント・オークション。社会の片隅で暮らす子供たちの幸せを願い、そうしたチャリティ活動を始めた途端、不思議なことに、デイの成績は急上昇した。

 2015年は全米プロを制し、メジャー初優勝を含む年間5勝を挙げ、世界ナンバー1にも輝いた。翌年も年間3勝と好調だった。
 2017年は母デニングが母国の病院で肺がんと診断され、ショックを受けたデイは試合を棄権。直後の会見では涙が溢れ出し、しゃべることもままならなかったが、その後、デイは母親を米国へ呼び寄せ、手術を受けさせた。順調に回復したデニングは母国へ戻り、「働いているほうが気が楽だから」と、すぐさま職場へ復帰した。

 母親が元気を取り戻すとデイにも勢いが戻り、新たなチャリティ・トーナメントをフロリダで、新たなチャリティ・コンサートをシカゴで開くなど、社会貢献活動を地元オハイオ以外へも広げていった。さらに2人の子供が生まれ、現在は幸せな5人家族になった。
 すると、不思議なことに、デイのゴルフはまたしても急上昇し、2018年は年間2勝を挙げた。

 かつて明日への希望さえ抱けなかったデイ少年は、母親や姉たちからの愛情とゴルフで立ち直った。プロゴルファーとして成功してからのデイは、愛情と優しさを自身の3人の子供たちに注ぎ、さらに「昔の自分のような子供たち」にも注ぐたびに、逆に彼のゴルフは上向いていく。そんな不思議な現象も、すべてを見ている神様のお陰だとすれば、決して不思議な現象ではない。

 「輝く日々、輝く未来を抱くチャンスは誰にも等しくある」
 それが、デイの何よりの願いだ。