講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、NY、ロサンゼルスを経て、現在は日本が拠点。

 オハイオ州ダブリンの名門、ミュアフィールド・ビレッジで開催される米PGAツアーのメモリアル・トーナメントは、ゴルフ界の「帝王」ジャック・ニクラスがホストを務める大会だ。1976年の創設以来、数々の名勝負が歴史に刻まれ、ニクラス自身も2度、勝利を挙げた。松山英樹が2014年に初優勝を飾った大会として記憶している日本人ファンは多いことだろう。

 だが、かつて、この大会は「ジャック・ニクラスの野望」などと揶揄されることが多かった。というのも、メモリアル・トーナメントの様々な面が、「ゴルフの祭典」マスターズのそれと実によく似ていたからだ。

 メモリアル・トーナメントの舞台であるミュアフィールド・ビレッジをニクラスが必死に名コースに仕上げ、どこまでも難度を上げているのは、マスターズの舞台である名門オーガスタ・ナショナルに追いつき追い越したいからだと言われていた。

 メモリアル・トーナメントの大会オフィシャルたちが着用しているユニフォームは、オーガスタ・ナショナルのメンバーたちの象徴とされているグリーンジャケットとそっくりの緑色のジャケットだ。

 取材のために訪れるメディアに配布されたクレデンシャルは、以前は真っ赤なブリキの缶バッジで、真ん中に白い文字で「PRESS」と記されていた。それもまた当時のマスターズのプレスバッジと瓜二つだった。

 「ニクラスはメモリアル・トーナメントをマスターズのようにしようと目論んでいる。ニクラスはマスターズを創設した『球聖』ボビー・ジョーンズのようになりたがっている」
 メディアセンターの裏口トークでは、そんなフレーズがしばしば飛び交っていた。

黄色いシャツの意味

 だが、それが表面的で穿った見方にすぎなかったことに、やがて誰もが気付いていった。メモリアル・トーナメントにマスターズの諸々と似通ったものが多かったのは事実。だが、それはマスターズをコピーしよう、取って代わろうとしたわけではなく、ニクラスが大好きなマスターズを手本にしたということ。

 そして、ニクラスが目指していたのは、自分自身や大会のステイタスを上げることではもちろんなく、未来を担う人材を育成し、ゴルフ界、ひいては社会に貢献することだった。

 古くからのゴルフファンなら覚えているかもしれない。1986年のマスターズをニクラスが46歳にして制し、6度目のグリーンジャケットを羽織ったとき、彼が身を包んでいたのは黄色いシャツだった。

 その黄色は、珍しい骨の癌におかされ、1971年に13歳で天国へ旅立った親友の息子を想ってニクラスが選んだ追悼のためのカラーだった。少年の死後、ニクラスは、しばしば黄色いシャツを着て試合の最終日を戦い、勝利を重ねていった。86年マスターズを制したときの黄色いシャツも、ニクラスのそんな優しさの反映だったのだ。

 幼い子供が短い生涯を終える悲しさ、やるせなさを痛感していたニクラスは、その後、全米各地で小児病院をサポートしていった。

 故郷であるオハイオ州のネイションワイド・チルドレンズ・ホスピタルズとメモリアル・トーナメントを連携させ、大会の収益の多くをこの病院のために役立てている。全米各地に小児病院を展開するチルドレンズ・ミラクル・ネットワーク・ホスピタルズのサポートも長期に渡って続けている。

 ニクラス夫妻がフロリダ州に居を構えてからは、ニクラス・チルドレンズ・ホスピタルズ財団を2004年に創設。すでにフロリダ州内に14の外来センターを開設し、集まったチャリティ基金は100ミリオンダラー(=約110億円を上回っている。

「もう私にゴルフは要らない」

 「これから5年間で、さらに100ミリオンを集めたい」
 今年3月、プレーヤーズ選手権の会見に臨んだニクラス夫妻は、笑顔でそう言い切った。夫妻は地球規模のチャリティ活動を行なっていくために、「プレー・イエロー(Play Yellow)」なるプロモーションを新たに立ち上げたという。

 「イエロー」は言うまでもなく、幼くてして亡くなった親友の少年を想う追悼の黄色だ。ニクラスは向こう5年間で100ミリオンのチャリティ収益を目指し、「グローバルな活動を通じて、小児病院のさらなるサポートに力を尽くしていきたい」と語った。

 「私は以前から、チャリティはプロゴルファーとしての試合やプレーの一部だと思っていたが、いつもそればっかりを考えてはいなかった」
 若かりし日々のことをニクラスはそう振り返り、チャリティへの想いが年々強まっていることを、会見で隣に座っていたバーバラ夫人と何度も目を合わせながら、こんなふうに明かした。

 「バーバラは、この40年間、ゴルフに携わってきた私を支えてくれた。小児病院に関することやチャリティに関することは、これまでは、実を言えば、私より彼女の最大の関心事であり、仕事であり、私はそんな彼女をサポートしてきた。
 でも今は、私自身のフォーカスが未来を担う子供たちのサポートへ向いている。それが何よりも大切なことで、それ以上に大事なことなどないと心底、思うからだ。
 もう私にゴルフは要らない。もう他のものは何も要らない」
 必要なのは、子供たちの命と健康と未来を支え、守っていくこと――それが、ニクラスが今、唯一、実現したいと願っていることなのだそうだ。

 かつて、ニクラスがボビー・ジョーンズになりたくて、メモリアル・トーナメントをマスターズにしたくて、とんでもない野望を抱いているなどと揶揄していた人々に、今、ニクラスの心優しい野望を是非とも知ってもらいたい。そして、できることなら、どんな小さなことでも何でもいいから、一人でも多くの人が「帝王の野望」に協力してほしいと私も願っている。