記事・コラム 2016.12.01

高原剛一郎の専門家しか知らない中東情勢 裏のウラ

【第九回】米国撤退の空白を埋めるプーチンの中東戦略

講師 高原 剛一郎

大阪ヘブル研究所

1960年名古屋出身。大阪教育大学教育学部卒業後、商社にて10年間営業マンとして勤務。
現在では大阪ヘブル研究所主任研究員として活動。イスラエル、中国を中心とした独自の情報収集に基づく講演は、財界でも注目を浴び、外交評論家としても知られている。

あるジャーナリストが、プーチンに聞いた。「人を殺したことはありますか?」プーチンは答えた。「それは素手でやったかという意味で聞いているのか?」実話である。KGBで鍛えられたプーチンは、恐怖の力を信じている。
シリアのアレッポは、地上の地獄だ。ロシア空軍は躊躇なくクラスター爆弾を使う。点を攻撃するのではない。面全体を焼き尽くす無差別殺戮兵器だ。戦闘員と非戦闘員の区別はない。ロシア軍の戦い方に、中東諸国は震え上がっている。

実績をあげてきたプーチンの恐怖戦略

200年ほど前、ロシアはコーカサス戦争を戦い、北コーカサスを併合した。50年間、チェチェン人たちを虐殺し続け、自国領土に併合した。この時、ロシアを逃れてオスマン帝国に逃げたチェチェン人の子孫たちが、アラブ諸国にいる。彼らはチェチェン人のアイデンティティを保っているが、宗教的にはイスラム教スンニ派の中でも、特に原理主義的なハンバリー学派の影響を受け入れた過激派だ。ソ連崩壊の直後、中東のチェチェン人と現地のチェチェン人は連合軍を作ってロシアに反乱して、事実上の独立を果たした。チェチェン人は200年の怨念を晴らした。
だがその後、内部分裂が始まった。中東チェチェン人は独立だけでは飽き足らず、隣国ダゲスタンにも攻め込んで、北コーカサス一帯をイスラム原理主義過激派革命の根拠地にしようと目論んだ。そして反対する現地チェチェン人を殺していった。99年当時、首相だったプーチンは、第二次チェチェン戦争を仕掛けた。現地チェチェン人はロシア側について、中東チェチェン人の殲滅作戦に協力した。この時ロシアは、チェチェンの首都グロズヌイを文字通り破壊し尽くした。核兵器以外のあらゆる近代兵器を投入した。09年に戦争は完全に終結した。ちなみにグロズヌイの意味は、恐怖である。プーチンは恐怖の力を信奉している。中東チェチェン人たちは、またしてもアラブ諸国に逃げ込んだ。そして、今やISの主力メンバーとなっている。アサド政権が倒れるようなことがあれば、シリアに中東チェチェン人のイスラム原理主義革命の発信基地ができる。彼らは、プーチンへの復讐を忘れてはいない。だからこそ、かつてグロズヌイでやったのと同じことを、プーチンはシリアでやっている。実際このやり方は、あらゆる国に波及効果を及ぼしている。オバマ政権は、ロシアと軍事的衝突に繋がりかねない作戦を控えるようになった。

中東進出の足場ーシリア

ロシアの影響力はシリアだけにとどまらない。今や、中東地域全土の盟主に向かって進み出している。ロシアは地中海に面したシリアのラタキア空軍基地を、自国の基地のように拠点化した。ここからいつでも哨戒機を飛ばして、地中海に展開する米海軍や米空軍を監視できるようになった。さらに世界最先端の地対空ミサイルシステムS-400を配備した。トルコ南部からキプロス、イスラエルのほぼ全土、ヨルダン西部が射程圏内に入った。米国とその同盟国はNATO圏の南側に接近阻止・領域拒否地域を抱えることになってしまった。数年前まで地中海沿岸地域は、米国の独壇場だったのに、今や形勢は変わってしまった。中東の親米国家は、ロシアの顔色を見て振舞い方を考えるようになる。

中東世界を一変する軍事同盟

しかし最大の懸念事項は、ロシアとイランの軍事同盟化である。これが実現すると中東における米国の影響力は一気に後退する。ロシアはシリア空爆作戦に際して、自国領の北コーカサスではなく、イランのハマダン基地を使用したことを明らかにした。イスラム原理主義国家のイランが、異教徒の軍隊を自国領に入れることは考えられないことだ。しかもイランはロシアとの戦争に負けて、二度にわたって領土を割譲させられた経緯がある。ロシア嫌いの国民も少なくない。それだけにロシアとの蜜月ぶりがよくわかるのだ。
ロシアとイランが軍事同盟した場合に、イランが享受するメリットは米国からの圧力を受けずに済むことだ。昨年、六ヶ国協議でイランの核開発の合意がなった。イランは核開発してもよいが、核兵器開発はできないレベルまで開発規模を縮小する。その代わりに、経済制裁は解除されることになった。イランが合意内容に違反した時には、軍事的攻撃を含む制裁が合意内容に盛り込まれている。だが、イランがロシアの抑止力の傘に入った時に、米国はイラン攻撃を実行できるだろうか。イランへの攻撃をロシアへの攻撃とみなす状況下で、それでも米国は攻撃に踏み切るだろうか。懐疑的にならざるを得ないのだ。
ロシアが同盟化で得る実はイラン以上に大きい。イラン国内の基地を使用できるようになれば、イランの面前のペルシャ湾とホルムズ海峡、さらにアラビア海からインド洋という最重要シーレーンに容喙(ようかい:横から口出しをすること)できる。今まで米国の絶対的優位だった所にロシアが存在感を見せつけるようになれば、アジア諸国もロシアの顔色を伺うようになろう。

要の国–トルコはどこへ

極め付けは、トルコがロシアに急接近していることだ。エルドアン大統領は、クーデター未遂の背後に米国がいると信じ込んでいる。事件の首謀者とエルドアンが見做すギュレン氏の身柄引き渡しに米国が応じないことに心底苛立っている。プーチンがこのチャンスを見逃すはずがない。クーデター未遂の直後、最初にエルドアンを支持したのはプーチンだった。トルコのユルドゥルム首相は、インジルリク空軍基地をロシアに使用させる可能性があると言った。ここはNATO軍が使用する基地で、米軍の核兵器が貯蔵されている。米国も舐められたものである。
トルコはシリア難民流出のバルブ役だ。トルコが抱える難民をヨーロッパに向けて全開されることをEUは恐れている。また、中国の習近平が強力に推し進める新シルクロードの最終出口でもある。プーチンはこのトルコを抱きこもうとしている。

親米国家にまでそっぽを向かれるオバマ外交

最後に注目すべきは、やる気のない米国にうんざりしているサウジアラビアである。ロシアがペルシャ湾まで乗り出してくる可能性が見え出した今、サウジアラビアは米国に気兼ねせずにロシアと直接交渉するようになった。米国が当てにならないので、天敵イランを抑えることができるのはプーチンだけだ。カードはある。原油安で財政的に苦しいロシア政府を助けるために、原油生産調整で協力することだ。11月にそれがわかる。実力がある米国をここまで凋落させたオバマの失策は、あまりに大きい。