記事・コラム 2016.11.01

高原剛一郎の専門家しか知らない中東情勢 裏のウラ

【第八回】激化するサウジ・イランの代理戦争

講師 高原 剛一郎

大阪ヘブル研究所

1960年名古屋出身。大阪教育大学教育学部卒業後、商社にて10年間営業マンとして勤務。
現在では大阪ヘブル研究所主任研究員として活動。イスラエル、中国を中心とした独自の情報収集に基づく講演は、財界でも注目を浴び、外交評論家としても知られている。

この夏、今上天皇が、生前退位についてお気持ちを述べられた。
私は個人的には、頷かざるをえなかった。何しろ82歳のご高齢なのだ。
ところで、昨年1月、80歳にして国王に就任した人物がいるのだ。第7代目サウジアラビア国王のサルマン王である。
サウジアラビアでは、サルマン王に限らず、国王に就任する王子達は皆高齢者である。
それには理由がある。初代アブドル・アジズ国王から生まれた王子達が、半端なく多いのである。

サウド王家の抱える構造的問題

初代アブドル・アジズ国王には、19人の妻と200人以上の妾がいた。そこから36人の王子を含む58人の子供が生まれた。36人の王子達は、誰もが国王になりたがる。だから異母兄弟間で、相続争いが起こらないようにバランスをとって王位を継承してきたのである。サルマン国王は、初代国王の25番目の王子である。ちなみに第3世代の王子は250人以上、第4世代では1,000人以上、第6世代では1万人を超えていると言われている。総人口で割ると、国民2,700人に1人の割合で王子がいることになる。

部族統一を果たした二本柱の政策

初代国王の妻妾の多さは、彼の好色に由来するということだけではない。それはアラビア半島統一するための、二本柱の政策だったのだ。
第一の柱は、政略結婚であった。
紀元前の昔から、アラビア半島は文明圏から隔離された砂漠地帯だった。全盛期のローマ帝国も、アラビア半島には手をつけなかった。そこは遠征して征服するには、あまりにも魅力がなく、過酷な環境だったのだ。だからアラビア半島には、誰にも征服されたことがない遊牧民たちが、自らの掟にしたがって生きてきた。
そんな遊牧民の有力部族の1つがアブドル・アジズのサウド家だった。
荒野を駆け回る遊牧民の部族たちは、皆互いに仲が悪かった。
遊牧民の掟の1つは、やられたらやり返す仇討ちの掟である。仇討ちは最高の美徳である。しかし報復が賞賛されている文化圏では、復讐の連鎖は果てしなく続くことになる。だから遊牧民の間では、恒久平和など無い。
だがアブドル・アジズは、部族間戦争で勝利を上げるだけではなく、有力部族の族長の娘たちを、次々に妻に娶っていった。
もちろん、イスラム社会では妻帯は4人までである。しかし同時に、離婚も慰謝料さえ払えば許される。遊牧民イスラム社会の離婚は、実に簡単だ。夫が妻に離婚すると言えばそれで済むのだ。アブドル・アジズは、4人の女と結婚しては離婚することを繰り返した。そうすることで、有力部族のほとんどがサウド家と血のつながりを持つようになったのだ。

遊牧民社会の中では、部族代表者会議が決定的に重要だ。これをアラビア語で、マジュリスという。有力部族の代表がここで顔を合わせるが、彼らのほとんどがアブドル・アジズの息子達になるのだ。つまり政略結婚の繰り返しによって、アラビア半島で昔ながらに機能していた部族間代表者会議が、いつの間にかサウド王家の家族会議に置き換わってしまったのだ。だからこの国の名前を、サウジアラビアと言う。これは「サウド王家のアラビア」と言う意味だ。全世界を見渡して、個人の名前が国名になってるのはこの国だけだ。だからこの国には、憲法もない。議会はあっても立法権は無い。国家そのものがサウド王家の私物なのだ。21世紀の今日においては、かなり浮いた存在と言わざるをえまい。

もう一つの柱は、サウド王家をしてイスラム教ワッハーブ主義の旗手としたことだ。ワッハーブ主義とは、スンニ派イスラム世界の世直し運動である。イスラム教の純化を目標に掲げる原点回帰運動である。堕落し世俗化したイスラム教に、かつを入れる改革運動である。サウド王家は単に個人的野心のためではなく、イスラム教のためにアラビア半島統一するという大義名分を得たのだ。サウド王家はイスラム教二大聖地メッカとメディナの守護者を自負している。そこにサウド王家の支配者としての正統性を主張しているのだ。

王家の腐敗に目をつぶる条件

だがこれらの主張には、あまり説得力はない。と言うのは、国民には厳格なイスラム教の掟を強要しておきながら、王家や王子たちの生活ぶりは甚だひどいものがあるからだ。二代目の国王はイスラム圏の美少女を狩り集めるためにカイロ、ベイルート、テヘラン、カラチの各地に担当の役人を常駐させていた。ハーレムの維持費用を捻出するために紙幣を乱発し、通貨であるリヤルのレートをドルに対して半分にまで下落させた王もいる。大学の卒業記念祝いに、パリのディズニーランドを借り切って、三日間で20億円豪遊した王子もいる。それでも多くの国民たちが、反乱を起こすことがなかったのは、労働の無い楽な生活を保証されていたからだ。ただし、体制にケチをつけさえしなければ。では労働は誰が担うのだろう。外国からの出稼ぎ労働者たちだ。社会的インフラを、外国人労働者に全面依存して成立しているのがこの国なのだ。国民は基本的に、住宅も医療も学校も無料である。国民には税金を払うという感覚は無い。政府には国民の面倒を見る義務があると思っている節がある。だがこういうことが、長く続きそうにはない雲行きなのだ。

焦りを隠せないサウジアラビア

レバノンには、イランの肝いりで結成されたシーア派テロ組織ヒズボラがいる。また、イラクでは、選挙の結果シーア派勢力が権力を獲得した。今や中央政府のあるバグダットは、シーア派の天下だ。今やイランは、イラク内で活動するISを討伐するために大手を振って活動している。さらにシリアのダマスカスでも、イラン革命防衛隊がアサド政権も守っている。その上サウジアラビアの隣国、イエメンでもシーア派武装集団のホーシー派が首都を陥落させた。背後にはイランの協力があるとみられている。ふと気がつくと、サウジアラビアを取り巻くアラブ諸国の首都は、皆シーア派の手に落ちているのだ。

なりふり構わぬサウジの戦略

だからサウジアラビアは、徹底的にイランに対抗する政策をとる。
イランは財政的に追い詰めるために、石油の低価格路線を限界が来るまで続けようとするだろう。イランと共闘関係を持っているロシアを苦しめるためにも、減産することは考えられない。したがって、石油価格はまだ上がる事は無い。
外交面においても、イランに同調するアラブ諸国には容赦しないだろう。今年の1月、サウジはイランと国交断絶した。そして他のアラブ諸国にも、イランとの関係を縮小するように圧力をかけた。レバノンはそれに従わなかった。サウジはレバノンの40億ドルの軍事資金援助を即座にストップした。

次世代国王に将来をかけるサウド王家

サルマン国王は、即位と同時に、思い切った人事に手をつけた。自分の息子を王位継承ナンバーツーの副皇太子にしたのだ。彼の名前はムハンマド・ビン・サルマン。まだ30歳の若い王子だ。国王は、経験の乏しい息子に、国防大臣と経済開発評議会議長の重責を任せた。つまり軍事と経済の両方の権限を任せた。他に250人以上いる王子たちを差し置いての、あからさまな権力集中である。いまやサウド王家の中で、国王の後ろ盾を持つビン・サルマンは飛ぶ鳥を落とす勢いである。誰も彼を止めるものはいない。だから危なっかしいのだ。
イランのパイプラインが、アラブ人のグループによって破壊される事件があったが、その背後にサウジの差し金があったと言われている。
そしてとうとう血気盛んな副皇太子は、イエメンにサウジアラビア軍を投入し空爆を始めた。イエメンは、険しい山岳地帯だ。歴戦のエジプト軍ですら、身動きが取れなくなった鬼門の場所なのだ。サウジアラビアはこの戦争の結果、果てしない消耗戦に引きずり込まれたと言ってよかろう。それはイランの思うツボなのに。

戦況が長引いたとき、政府は今までのようなバラマキ政策を続けることができなくなる。国民にサービスを提供する政府から、国民に義務を強いる政府へと転換せざるを得なくなる時、無理な人事に対する不満が一気に吹きでても不思議は無い。万一、サウジアラビアに大きな動揺が生じた場合、他の湾岸諸国にもマイナスの影響が波及することが考えられる。
中東世界は、新しいパワーゲームの時代に突入したのだ。