記事・コラム 2020.06.15

ゴルフジャーナリストが見た、プロゴルファーの知られざる素顔

【第36回】スネデカーは「超ナイスガイ」!

講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、NY、ロサンゼルスを経て、現在は日本が拠点。

 世界のトッププレーヤーが集結する米ツアーに、ついに辿り着いた若き選手たちの中には、鼻高々で生意気な態度を取る者も時折り見受けられる。
 しかし、世界一の厳しい競争社会で揉まれているうちに、自分自身の思い上がりや勘違いに気付き、徐々に謙虚で優しい「いい人」になっていく。いや、変身や変貌ではなく、その人の生来の「いい人らしさ」が労の果てに花開く。
 そんな実話、実例を、これまで何度か見たことがある。現在39歳の米国人選手、ブラント・スネデカーは、その代表例だ。

号泣した、あの日

 スネデカーという選手を私が初めて意識したのは2008年のマスターズだった。
 それは、当時27歳だったスネデカーにとって、わずか2度目のマスターズだったが、最終日を最終組で迎えた彼は2番のイーグルでいきなり首位へ浮上。若き新鋭の初優勝に大いなる期待が寄せられた。
 しかし、驚くなかれ、スネデカーは残りの16ホールで8ボギーを叩く大崩れを喫し、あれよあれよという間に後退して3位に甘んじた。
 敗北会見に呼ばれたスネデカーは、メディアセンターの屋外に設置されていたテレビ用のインタビューエリアへやってきた。そして、ずらりと並ぶテレビカメラの前に立ち、米メディアからの質問に答えようとした瞬間、悔しさが込み上げ、涙が溢れ出した。
 思わず檀上から横へ反れたスネデカーは、メディアセンターの建物の片隅へ、よろよろ歩き始めた。せめて人目を避けて泣きたいと思ったのだろう。だが、溢れ返る悔し涙は、それまで待ってはくれず、彼は大勢のテレビ関係者の視線にさらされながら、大声で泣き始めた。
 どうしようもない悔しさが、じんじん伝わってきた。手を伸ばせば届く至近距離で号泣し続けるスネデカーに何か声をかけてあげたかったが、適切な言葉など見つけられるはずもなく、私は無言で彼の震える背中を見つめていた。
 この悔しさが報われる日が、いつか彼に到来しますように……そう願う以外に私にできることはなかった。

「悔し涙は恥じゃない」

 テネシー州ナッシュビル出身のスネデカーは、ジュニア時代も大学・アマチュア時代も、数々のタイトルを総なめにするほどの優れたゴルファーとして知られていた。
 2007年に鳴り物入りで米ツアーデビューを果たし、その年の夏、ウインダム選手権で早々に初優勝を挙げてルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。誰もが羨むほどの順風満帆なエリート人生。だが、当時の彼は、それが当然という顔をする小生意気な若者だった。
 しかし、2008年マスターズで目前に迫った優勝を逃し、号泣してからのスネデカーの人生は、何かが変わってしまったかのように苦労の連続になった。
 2009年は肋骨を痛め、8週連続予選落ち。メジャー4大会もすべて予選落ちの憂き目にあった。翌年は2度に渡る手術を受け、それぞれ3か月ずつ、欠場を余儀なくされた。
 それでも必死に復活し、2011年のザ・ヘリテージでは英国出身のルーク・ドナルドとの3ホールに渡るプレーオフを制し、6打差を覆す大逆転で2勝目を達成した。
 だが、スネデカーの表情は少々曇っていた。なぜなら、自分が優勝したことで、キャリア初の世界一に就こうとしていたドナルドの歩みを阻止する結果になったからだ。
 「僕はルークと戦えたことを誇りに思う」
 優勝会見でスネデカーは自分の勝利の喜びより、ドナルドを相手に戦った喜びを強調した。惜敗したドナルドの胸の痛みを自分のことのように感じていたからこそ、彼はそう言ったのだと確信できた。

 2012年2月。ファーマーズ・インシュアランス・オープンで、またしても似たような出来事が起こった。
 首位を独走し、初優勝は間違いないと見られていたカイル・スタンリーが最終日の終盤に突然崩れ始め、先にホールアウトしていたスネデカーとのプレーオフへ。その結果、スネデカーが6打差からの大逆転勝利を遂げ、惜敗したスタンリーは肩を震わせながら号泣した。その姿は4年前のマスターズで泣いたスネデカーそっくりだった。
 「悔し涙は恥じゃない」
 優勝会見でスネデカーは、敗者にそんな言葉を送った。
 「戦う相手が、たとえ、この地球上の僕の最大の敵であっても、あんなふうに苦しむ姿は見たくない」
 敗北の苦しみを身を持って味わったスネデカーだからこそ、ドナルドやスタンリーの胸の痛みが手に取るように理解でき、気遣いを見せる。スネデカーは、いつしか、小生意気だった若者から、心優しいチャンピオンへと成長していた。

「ゴルフより大切なもの」

 故郷ナッシュビルのために、そして未来のゴルフ界や社会を担う子どもたちのために、何かしら貢献したいという想いから、スネデカーが自身の名を冠した財団を設立したのは2015年のこと。
 以来、すでに60万ドル超(約6420万円超)をテネシー州の学生を対象とする奨学金として寄付しており、子どもたちを傷病や犯罪から守り、十分な教育を受けさせることを目指す財団「アウア・キッズ」とも協力体制を取っている。
 さらには、米ツアーの下部ツアーであるコーン・フェリー・ツアーの大会、サイモンズ・バンク・オープンのスポンサードも開始したが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、今年4月に大会は中止を余儀なくされた。
 しかし、スネデカーは落胆する代わりに、賞金収入を絶たれた下部ツアー選手たちの今後を思案し、最前線で必死に戦っている医療従事者を支援すること、社会の力になることをやりたいと願った。
 そして、大会の冠スポンサーである銀行と下部ツアー選手4名を契約という形でつなぎ合わせ、4名の選手それぞれが今後の試合でバーディーを1つ取るたびに50ドルを銀行が寄付するという新たなチャリティを考案。スネデカーを核として、選手、銀行が三位一体で社会に貢献する体制が動き始めた。
 「(コロナ禍で)私たちの歩みは足止めされてしまった。でも、今はゴルフより大切なもの、大きなものがある」
 だから、社会の力になりたいとスネデカーは願っている。もはや彼のかつての小生意気ぶりやオーガスタ・ナショナルでのあの号泣を覚えている人はすっかり少なくなり、多くのゴルフファンは「スネデカーはナイスガイ」と思っているが、この際、少しだけ訂正させていただこう。
「スネデカーは超ナイスガイ」――これが正しい表現である。