記事・コラム 2020.07.15

ゴルフジャーナリストが見た、プロゴルファーの知られざる素顔

【第37回】米ツアーの黒人選手の「声」の力

講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、NY、ロサンゼルスを経て、現在は日本が拠点。

 米ミネソタ州で5月25日に起こった白人警官による黒人男性死亡事件に対し、全米各地で広まった抗議活動は、人種差別そのものに対する抗議活動となって、全米のみならず世界各国へと拡大している。
 日ごろ、米ツアーはハリケーンや地震といった自然災害や傷病に対して非常に迅速に対応するのだが、この問題に対する反応は、どうしてだか、きわめてスローだった。
 そんな中、米ツアー選手の先陣を切って口を開いたのは、黒人選手のハロルド・バーナーだった。
 現在、米ツアーの主要な選手の中で黒人選手はタイガー・ウッズとバーナーの2人だけであり、ウッズはバーナーを弟のように可愛がっているのだが、今回は兄貴分のウッズより、弟分のバーナーが先にアクションを起こした。
 6月1日、バーナーは自身のHP上に胸中を綴り、同時にいくつかの短いフレーズをツイッターで発信した。
 「明らかに、ジョージ・フロイド氏は今も生きているべきだった。当たり前だ。言うまでもない。しかし(彼の人生は)終わらされてしまった。これは無意味な殺人だ。僕にとっては悪の化身だ」

バーナーの頼みごと

 バーナーはオハイオ出身、ノース・カロライナ育ちで現在29歳の米ツアー選手。父親の手ほどきで2歳のときからゴルフクラブを握り、腕を磨いた。
 州内の大学を卒業後、2012年にプロ転向。草の根のミニツアーや下部ツアーのコーン・フェリー・ツアーで修行を重ねた後、2016年から米ツアー参戦を開始した。まだ優勝は無いが、着実に力を付け、成績を向上させている。
 バーナーと聞いて、真っ先に思い出されるのは、2019年4月のマスターズ開幕直前のこんな出来事だ。
 バーナーは昨年のマスターズ出場資格を得ることができず、オーガスタ・ナショナルへ向かおうとしていたウッズに、こんな頼みごとをした。
 「僕が10歳のころから一緒にゴルフの腕を磨いてきた親友のダニエル・メグは、PGAオブ・アメリカ所属のクラブプロになったんだけど、今は大腸がんのステージ4と診断され、闘病生活を送っている。タイガー、お願いだから、ダニエルを励ますビデオ・メッセージを撮ってくれませんか?」
 ウッズは黙って頷き、マスターズ開幕前日の水曜日の昼下がり、オーガスタ・ナショナルの一角で、咲き乱れるアゼリアの花々を背景に立ち、メグを激励するメッセージ動画を撮影した。
 「ダニエル、キミが辛く大変な日々を送っていることを僕は知っている。頑張れ。強くあれ。戦い続けろ。そして、一番大事なことは、決して望みを捨ててはいけないということ。みんながキミを想っている。だから頑張るんだ。いいかい?」
 17秒間の動画は、バーナーを介してメグの手元に届けられ、メグは「なんて幸せなことだろう。もう今すぐ死んでもいい」などと冗談を言ってしまうほど大喜びしたそうだ。
 そして、メグはこう言ったそうだ。
 「今週の日曜日、タイガーにきっといいことが起こる」
 バーナーとメグは病室で一緒にマスターズ最終日をTV観戦し、ウッズを応援した。そして、2人の感謝の念と祈りと願いが届いたのだろう。ウッズは奇跡の復活優勝を遂げ、マスターズ5勝目、メジャー15勝目を達成した。

「声」を上げていく

 米ツアー選手の多くは、初優勝を挙げて高額賞金を手に入れると、それを元手にして自身の財団を創設し、社会貢献活動を開始する。
 だが、中には初優勝を挙げる前から早々に財団を立ち上げ、チャリティ活動を始める選手もいる。
 「米ツアー選手になった時点で、少なくとも下部ツアー時代やアマチュア時代より格段に恵まれた環境を得る。自分が恵まれた分、恵まれない環境にある人々を助けたい」
 そういう想いに駆られ、居ても立ってもいられずにアクションを起こす選手が必ずいる。バーナーは、まさにその1人だった。
 米ツアー2年目を迎えた2018年の夏、バーナーは自身の「ハロルド・バーナー・3世」の頭文字を取り、「HV3ファンデーション」という名の財団を立ち上げた。
 「経済的、家庭的に恵まれない子どもたちはスポーツへのアクセスにも恵まれていない。道具を買うこと、指導を受けること、キャンプに参加すること。どれも難しい。せっかく才能があっても、それを伸ばす機会に恵まれない。そんな子どもたちを僕は手助けしたい」
 バーナー自身、子どものころはゴルフへのアクセスに苦労したという。
 「でも僕はノース・カロライナの地元のムニシパル(公営)のゴルフ場が、年間100ドルの会費を払えば無制限でラウンドできる制度を作ってくれたおかげで、とても助かった。もちろん100ドルだって簡単ではなかった。しかし、なんとか100ドルを捻り出し、好きなだけラウンドさせてもらえたおかげで今の僕がある。
 世間では『ゴルフは身近なスポーツになった』と言われているが、一部の子どもたちにとっては、いまなおゴルフへのアクセスの狭さは大きな障壁だ。そのことを僕は声を大にして世の中に伝え、そして変えていきたい」

 今年5月にジョージ・フロイドさんが命を落とした際も、バーナーは声を大にして人種差別撤廃を訴えかけた。
 コロナ禍で休止されていた米ツアーは6月11日からほぼ2カ月ぶりに無観客試合の形で再開され、その再開初戦となったチャールズ・シュワッブ・チャレンジで、バーナーは初日から首位発進して優勝争いに絡んだ。
 SNS上ではバーナーへの声援と激励が次々に寄せられた。残念ながら決勝2日間は失速し、19位タイに終わったが、バーナーの存在感は間違いなく大きく重くなった。
 初優勝を挙げる以前から、子どもたちや社会のために声を上げて動いてきたバーナーは、人種差別問題でさらなる声を上げ、そして今、人々からの声に支えられている。
 やがて彼は、そうした声に押し上げられ、もっと大きく強くなるのではないだろうか。そうなってほしいと願わずにはいられない。