記事・コラム 2020.08.15

ゴルフジャーナリストが見た、プロゴルファーの知られざる素顔

【第38回】「思い出づくり」と「自転車づくり」

講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、NY、ロサンゼルスを経て、現在は日本が拠点。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で3月半ばから休止状態に陥っていた米ツアーは、米国の主要なスポーツの先陣を切って、6月11日から再開された。
 その再開2戦目となったRBCヘリテージで、マシュー・ネスミスという26歳の米国人選手が好発進を切ったとき、「ああ、あのときの選手だ」と、少々懐かしく思った。

 2年前の春。RBCヘリテージの開催コース、サウス・カロライナ州ヒルトンヘッドにあるハーバータウンGL(ゴルフ・リンクス)では、草の根のミニツアーの大会が行なわれていた。
 その最終日。試合を終えた選手が18番グリーン上で、歩み寄ってきた恋人に、突然、プロポーズしたことが、米ゴルフ界ではちょっとしたニュースになった。
 ミニツアーといえども、ヒルトンヘッドは世界屈指のゴルフのメッカであり、白い灯台で知られるハーバータウンは当地の名門ゴルフクラブだ。そこでプロゴルファーたちが腕を競い合う大会があると聞けば、ゴルフ好きの観光客らは、喜んで立ち寄り、観戦する。
 そうやって、そこそこのギャラリーが入っていた最終日、衆人環視の下で、まるで映画のワンシーンのごとく18番グリーン上にひざまずき、「Will you marry me?(僕と結婚してくれませんか?)」とプロポーズした選手。それが、ネスミスだった。
 「試合の進行がスローだったので、日没が近づいてきて、とても心配だった。プロポーズするところを撮影するために、友達がずっと僕のラウンドに付いてくれていて、彼女に気付かれないようにブッシュの陰に隠れながら、18ホールへと向かってくれていた。でも、日没サスペンデッドになったら計画は台無しになってしまう。ギャラリーは結構いて、視線はそりゃあ気になったけど、とにかく僕は14番ぐらいからは全然プレーに集中できず、ただただ大急ぎのパニック・プレーをしていたような気がする」
 友人の手助けも得ながら、ネスミスが必死で遂行した一世一代のプロポーズ大作戦。そんな彼の誠意と努力と愛情を感じ取った恋人アビゲイルは、その場で「Yes!」と頷き、2人は翌年11月にめでたく結婚した。

「思い出は力になる」

 そして今年。6月の再開第2戦で、懐かしいハーバータウンに再び立ったネスミスは、2年前に自身が演じたプロポーズ大作戦の思い出を胸に抱きながら、再開2戦目のRBCヘリテージを戦っていた。
 新型コロナウイルス感染防止のため、今は選手の家族すら試合会場に入ることができず、せっかくの2人の思い出の場所だというのに、今年のハーバータウンにアビゲイルの姿は無かった。
 「だけど、見えなくても、触れられなくても、想いは通じるし、思い出は何よりの力になる」
 実を言えば、2年前、ネスミスがあれこれお膳立てをして派手なプロポーズをしたワケは、生涯忘れ得ぬ思い出を作りたかったからだそうだ。
 「思い出は何よりの力になる」
 そのことをネスミスは幼少時代の実体験を通じて学び、それが彼のゴルフ人生の出発点となり、プロゴルファーを目指す糧となった。

 1993年にネスミスが生まれ育ったサウス・カロライナ州ノース・オーガスタは、「ゴルフの祭典」マスターズの舞台であるオーガスタ・ナショナルにほど近く、ネスミス家は毎年、マスターズ観戦に出かけていたという。
 「僕が初めてマスターズを見に行ったのは8歳のときだった。大好きなベルンハルト・ランガーが練習日に一緒に記念写真を撮ってくれた。僕はそれがうれしくて、うれしくて。ランガーとの記念撮影の思い出が、その後の僕を支え、プロの世界へと導いてくれた。あの思い出が僕の原動力になったんだ」
 2011年にハーバータウンで開催されたジュニア・ヘリテージ優勝。2015年にはプレーヤーズ・アマチュアでも勝利を挙げ、トップ・ジュニア、トップ・アマと呼ばれるようになった。2016年に地元のサウス・カロライナ大学を卒業し、プロ転向。
 米ツアーの下部ツアーのそのまた下部ツアーであるマッケンジー・ツアー・カナダや近辺のミニツアーなどに挑みながら腕を磨いていた2018年3月、ネスミスはプロポーズの思い出が自分と未来の妻の「生涯の力」になることを願い、映画やドラマの脚本に書かれているような仕草とセリフで「ベタな」求婚シーンを演じた。
 その作戦は大成功だったと言えるはずである。2人は幸せいっぱいの結婚生活を送っているし、あのときの思い出は、2年後の今年から米ツアー選手になったネスミスの戦う力にもなってくれたのだから――。

「できる限りのことをしたい」

 ネスミスは下部ツアーでの2年間の下積み生活を経て、今年から米ツアー参戦を開始したばかりの未勝利のルーキーゆえ、これまで稼いだ賞金の大半は転戦費用と生活費でほぼ消えてしまうという。
 しかし、ネスミスと妻アビゲイルは、リッチではなくても人々の役に立てることはあると信じている。経済的な支援を行なうこと、寄付をすることだけが社会貢献ではなく、心の糧を創出してあげることは子どもたちにとって大きな力になると信じている。
 ネスミスが幼少時代から抱いてきたランガーとの記念撮影の思い出も、ネスミスとアビゲイルが生涯忘れることのない18番グリーン上でのプロポーズの思い出も、大きな力になっているのだから、そういう「思い出づくり」のお手伝いをしようではないか。2人は、そういうチャリティ活動に勤しんでいる。

 アビゲイルはジョージア州アトランタに拠点を置く小児がん患者を支援するための非営利団体に勤務しており、ネスミスとアビゲイルは、そこで出会った子どもたちや家族としばしば向き合っている。
 「子どもたちの要望すべてに応えられるわけではないけど、どこかの国に行きたいという子どもがいたら、その国の動画を集めて、旅行したような気分を味わってもらったり、できる限りのことをして、思い出づくりをしています」
 ネスミスは、手が空いたときは必ず、古い自転車を解体してリメイクする自転車の組み立てのボランティアに参加する。クリスマス・プレゼントをもらえる環境にない子どもたちに贈るための自転車だ。
 まだ大して賞金を稼いでいない新人ゆえに、お金はないから寄付も経済支援もできないが、「思い出づくり」と「自転車づくり」で、子どもたちや人々に「力」をもたらしたい。
 そう願うネスミス自身、胸に抱く2つの思い出から「大きな力」をもらって、たくましく生きている。