講師 舩越 園子

フリーライター

東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。
百貨店、広告代理店勤務を経て1989年にフリーライターとして独立。93年渡米。

在米ゴルフジャーナリストとして新聞、雑誌、ウエブサイト等への執筆に加え、講演やテレビ、ラジオにも活動の範囲を広げている。

『王者たちの素顔』(実業之日本社)、『ゴルフの森』(楓書店)、『松山英樹の朴訥力』(東邦出版)など著書訳書多数。

アトランタ、フロリダ、ニューヨークを経て、現在はロサンゼルス在住。

ハワイで開催されたPGAツアーの今季開幕戦、ザ・セントリーは、松山英樹が通算35アンダーという史上最多アンダーパー記録を樹立して通算11勝目を挙げ、日本のみならず世界のゴルフ界を沸かせた。

そして、その翌週は戦いの場をマウイ島からオアフ島へ移し、開幕第2戦のソニー・オープン・イン・ハワイが開催された。

しかし、開幕前にどうにも淋しい気持ちになったのは、ディフェンディング・チャンピオンとして居るはずだったグレイソン・マレーの姿が、試合会場のワイアラエCCに無かったことだった。

マレーは昨年のソニー・オープンをサドンデス・プレーオフで制し、7年ぶりの復活優勝と通算2勝目を挙げて笑顔を輝かせた。

当時30歳だったマレーのフェデックスカップ・ランキングは38位、世界ランキングも58位と健闘中だった。米メディアによると、その後もマレーは試合会場では明るい表情で選手仲間やファンと言葉を交わしていたという。

しかし、5月のチャールズ・シュワッブ・チャレンジ2日目の16番を終えたところでマレーは「体調不良」を理由に途中棄権。そのとき彼に何が起こったのか、彼が何を思ったのかは誰にもわからないのだが、それから間もなく、マレーは自身の生涯を自ら閉じ、この世から去ってしまった。

マレーの訃報が伝えられたのは、同大会が3日目を迎えていた5月25日の午後だった。PGAツアーのジェイ・モナハン会長からの声明によって、マレーが帰らぬ人となったことが伝えられると、試合会場のコロニアルCCに衝撃が走り、驚きと悲しみのニュースは世界へと広がっていた。

マレーの生き方、去り方

ゴルフのメッカ、ノース・カロライナ州で生まれ育ったマレーは、ジュニア時代から将来を嘱望され、「天才ゴルファー」と呼ばれていた。コーンフェリーツアーの大会には16歳で初出場し、「史上2番目の若さで予選通過した」と大きな話題になった。

地元の名門ウエイクフォレスト大学を経てアリゾナ州立大学へ進み、2015年にプロ転向。下部ツアー経由でPGAツアーにデビューし、2017年のバーバソル選手権で初優勝を挙げた。

しかし、後になってマレーは「初優勝した試合では、4日間のうち3日間は二日酔いの状態でプレーしていた」と明かし、自身がアルコール依存症であることを告白した。

心身が不安定になり、躁鬱の症状が出て、「ベッドから出られない日々もあった」。そう明かしたマレーの成績は徐々に低下し、やがて彼はシード落ちして下部ツアーへ逆戻り。

だが、必死の努力で禁酒に成功した2023年はコーンフェリーツアーで年間2勝を挙げ、2024年からは再びPGAツアーで戦い始めた。

「もう一度ルーキーになったつもりで頑張る」

そう宣言した途端、マレーは昨年1月のソニー・オープンで勝利を挙げ、通算2勝目を達成。4月にはマスターズに初出場して51位、全米プロでは43位タイになり、世界ランキング60位以内に食い込んで、6月の全米オープン出場資格もすでに獲得していた。

5月のチャールズ・シュワッブ・チャンレジにも元気な様子で出場していた。そんなマレーが、なぜ突然、この世から居なくなってしまったのか。彼の姿が消えてしまったことは、本当に残念だった。

チャールズ・シュワッブ・チャレンジ最終日の朝、マレーの両親が悲しみの中で、こんな声明を発した。

「この24時間、息子がこの世を去ったという事実を受け入れようとしてきましたが、いまだに信じられず、なぜだろうと疑問に思うことばかりで、答えは得られていません。
でも1つだけ答えられることがあります。グレイソンは愛されていたのか?答えはイエスです。グレイソンの人生は必ずしもイージーだったわけではなく、彼は自分の人生を自ら終わらせましたが、今は安らかに眠っているはずです」

マレーの両親にも「なぜ?」は疑問のままになってしまったが、PGAツアーのモナハン会長は、その「なぜ」をあらためて考えることで「PGAツアーのサポート体制の在り方や取り組むべき課題を見い出していきたいし、そうするべきだ」と言った。

「ワールドクラスのベストプレーヤーは無敵と思われがちだが、そうではない。グレイソンは私たちに大切な教訓をもたらしてくれた。そのことを私は決して忘れない」

PGAツアーのみならず、現代社会に生きる私たちみんなにとって、マレーの生き方、感じ方、そして突然の去り方は、さまざまな意味で教訓となるのではないか。
あのとき私は、そう思った。

魂と想いは永遠なり

今年1月のソニー・オープンがディフェンディング・チャンピオンの姿がない状態で開幕を迎えたことは、とても淋しく感じられていたのだが、そこに温かい知らせが届いた。

マレーの父エリック、母テリー、そして妹のエリカやかつてのチーム・マレーのメンバーたちが手を取り合い、グレイソン・マレー財団を創設したという。

マレーの両親によると、マレーは自ら生涯を閉じる直前まで、自身のアルコール依存症やうつ病の症状を赤裸々に明かし、「一緒に戦おう」「一緒に立ち直ろう」と呼びかけていたのだそうだ。

「グレイソンは自分のメンタルヘルスの問題を包み隠さず語ることで、同じような苦しみに直面している人々の心に触れてきました。PGAツアーのチャンピオンという立場を生かし、苦しんでいる人々を暗闇から救い出そうとしていました。そんなグレイソンの遺志を、私たち家族とグレイソン・マレー財団が引き継いでいこうと思います」

マレーの魂と想いは永遠なり。彼の想いは、きっと苦しんでいる多くの人々に伝わり、何かを変えてくれるに違いない。