講師 石井 正
東北大学 卒後研修センター
1963年に東京都世田谷区で生まれる。1989年に東北大学を卒業後、公立気仙沼総合病院(現 気仙沼市立病院)で研修医となる。1992年に東北大学第二外科(現 先進外科学)に入局する。2002年に石巻赤十字病院第一外科部長に就任する。2007年に石巻赤十字病院医療社会事業部長を兼任し、外科勤務の一方で、災害医療に携わる。2011年2月に宮城県から災害医療コーディネーターを委嘱される。2011年3月に東日本大震災に遭い、宮城県災害医療コーディネーターとして、石巻医療圏の医療救護活動を統括する。2012年10月に東北大学病院総合地域医療教育支援部教授に就任する。現在は卒後研修センター副センター長、総合診療科科長、漢方内科科長を兼任する。
目次
病院見学は大切ですね。
見学しないと、初期研修医がどこまで仕事をさせてもらっているのか、分からないですしね。見学に行き、研修医が生き生きと楽しそうに働いているのかどうかを見てほしいです。それが一つの見分け方です。研修医は勘違いする時期でもありますし、「忙しい自慢」をすることもあるかもしれませんが(笑)、それだけ研修や仕事をしているということでもあります。
逆に「17時に終われるよ」ということを宣伝材料にする病院は良くないかもしれません。これは個人的な意見ではありますし、働き方改革にも逆行していますが、「うちは17時過ぎても、研修医が残っているよ。研修医は楽しくて残っているんだ」という病院が良さそうです。
研修医に経験させる病院で研修することはなぜ大切なのでしょうか。
何かの理由があって、研修医に何かを経験させるということは教える側にも自信があるということなんです。つまり教える経験値が高いということです。「それは危ないから、今日は見とくか」という指導医は教える自信がないのかもしれません。私が石巻赤十字病院にいた当時は外科が必修科で3カ月のローテートをしていたのですが、外科志望の研修医には腹腔鏡下胆嚢摘出術などの内視鏡手術の初歩のものを術者としてさせていましたよ。また内科や小児科志望の研修医にはヘルニアや急性虫垂炎の術者をしてもらっていました。
そうすると当たり前ですが、1時間で済む手術が3時間かかったりするので、効率は悪いんです。研修医が「うまくいきません」と言ってきたときに、「では代わろうか」となると時間がかかります。でも石巻赤十字病院では職員全員が教育とはそういうものだと認識しているので、手術部も看護師さんも誰も文句を言いませんでした。
ところが臨床を教える経験値が低い病院だと他部署からのクレームを恐れているからか、見学だけにさせるのかもしれません。石巻赤十字病院の麻酔科では研修医がほぼ毎回、気管内挿管をするので、初期研修中に100回から500回の挿管経験を積めるそうです。以前は喉頭鏡を使っていた挿管も今は機械があるので簡単にできるようになりました。
それでも脇で教えている指導医が患者さんに不利益にならないようなリスクマネジメントに自信があるからこそ、できることです。これは宣伝ですが(笑)、東北大学の関連病院ではこのような研修制度を昭和40年代から取り入れているので、初期臨床医に対する教育経験値が高いんです。
最近は外科志望の方が少なくなってきたとも聞きます。
単純な話です。内科もそうかもしれませんが、外科は拘束時間が長いので、生活の予定を立てにくいんです。休日当番や臨時手術もありますし、QOLや自分の生活を第一に考えている人からすれば、そこがディスアドバンテージになります。でもダイナミズムという魅力は大きく、そこに魅了されて入ってくる人は一定数います。
個人的な意見としては欧米のように手術フィーを出すなどの収入や待遇で差をつけるのがいいのかなと思います。「人の生命を救える仕事はいいだろ」と言っても「家族との時間を大切にしたいです」と言われると、「はあ」となりますし、浪花節だけではやっていけない時代ですね。
6年生になると、国家試験も気になってきます。
東北大学では大学としては対策をあまりやっていません。卒業試験を国家試験的スタイルにしているとは聞きますが、いわゆる塾のようなことはしていません。だから学生にとってはもう少し面倒を見てほしいという不満はあるかもしれませんね。でも、私たちははっきり言って、学生を信用しています。手前味噌ですが、東北大学の学生は全国から入学してきています。
最近は受験テクニックに強いと有利な面もあるので、以前よりは原石を見つけるチャンスが減っているかもしれませんが、やはり優秀なんです。もちろん中には勉強しない学生もいますが、ほとんどの学生が部活動もしていますし、大学時代に論文を10本書いた学生もいます。ほぼ毎年、国家試験の合格率は95%ぐらいですし、余裕で受かっています。
大学生のうちに、海外にも行ってほしいですね。
外国人恐怖症の私から学生の皆さんには海外留学を勧めたいですね。私は若い頃留学のチャンスをのがしてしまったこともあり、外国人恐怖症を自覚しています。その外国人恐怖症の克服のためにも、できるだけ海外の学会などで発表する挑戦をしています。ただ、やはり色々なことがあります。
先日、外資系航空会社のフライト中に赤ワインを飲んでいたら、突然機体が揺れてズボンにこぼしてしまったんですよ。仕方ないなあと拭いていたら、外国人のCAさんが来て、どうしたのかと聞かれたので、「I spilled my red wine on my pants.」と答えたら、ハハハと爆笑して立ち去られました。
これが国内航空会社なら「お客様、大丈夫ですか」「お席を変えましょうか」となりそうなところなのに、爆笑ですからね。それで、ふと機体の壁を見ると、赤ワインが飛び散っていました。逆に「お前が金を払え」「責任を取れ」と言われそうなので、持っていたアルコールティッシュで懇切丁寧に拭きましたよ(笑)。
ビジネスクラスのお客様が自ら拭かれたんですね。
私としては「責任を取れ」と言われたら、「The wine spilled because this plane was shaking, so it’s not my fault.」と言い返そうと思っていましたが、結局何も言われませんでした(笑)。
このほかにも、アップグレードしてビジネスクラスに乗ったときに、外国人のCAさんが早口で料理名を説明するのですが、私は考えごとをしていて、よく聞き取れなかったので「Excuse me.」と聞き返し、外国の映画に出てくる俳優みたいに、露骨に口をへの字にして、肩をすくめて手のひらを上に向けて挙げる仕草をされ、「We have a Japanese speaking stuff」と言って、もう一度、説明することもせず、片言の日本語を話すCAさんを連れてきました。
「オキャクサマ、ナンノリョウリニシマスカ」と聞かれ、何だか惨めで悲しい気持ちになりましたよ。それでも海外挑戦を続けているうちに、外国人恐怖症は少しずつ薄らいできたように思います。
大学生の保護者の方々にもメッセージをお願いします。
私の経験から言うと、地元に帰ってこいという強要はできればしないでいただきたいです。それは親の自己都合だからです。私は東京出身ですが、仙台で働いていますし、姉は新潟に住み、妹はカナダで画家をしています。92歳になる母は「普通、人は東京にやって来るものなのに、うちの子どもたちは東京から離れてしまった」と言っています(笑)。
私の子どもたちも長女は東京の病院で歯科医師の研修をしており、長男は東京の大学病院で泌尿器科の専攻医をしています。次女は関西の大学を卒業後、韓国に留学中です。誰も仙台にはいないんです。お子さん本人が「将来は地元に帰って貢献したい」とおっしゃっているならいいのですが、親御さんのエゴで「戻ってきなさい」「あなたがいないと困る」というのはできれば控えられたほうがいいですよね。本人がやりたいようにやらせるのがよいと思います。特に医学部に入るような子どもさんは基本的には優秀なので、自分で道を切り開けますし、ある意味で計算もできます。
例えば地元に帰って、親御さんの病院を継いだほうが得だと判断すれば戻るでしょう。「それは嫌だ」というお子さんに対して、「いいから戻れ」というのはやめた方がよいですし、経済的な事情は人それぞれなので一概には言えませんが、例えば「自分も退職して収入がなくなるからメシを食わせてくれ」というのは親の都合を押しつけているだけということになりませんかと申し上げたいのです。
とはいえ東北大学の学生を見ると、関東、関西、愛知県出身の学生は地元に帰る率が高いですね。特に名古屋の人は地元を愛していると感じています。名古屋にはトヨタもあり、徳川家由来の文化もあり、八丁味噌のような食文化もあって、経済も文化も全てが揃い、そこで完結しているので、そういう点に強い愛着を持っているように見えます。「モナコ公国みたいに名古屋だけ日本から独立しても構わない」と言っている名古屋の友人もいます(笑)。
地元に戻るというのは親孝行なのかもしれませんが、「親が帰ってこいというから仕方なく帰ります」というのは本人が目指すもしくは希望しているキャリア形成を断念させることになる、ということを理解すべきで、子どもさんがやりたいことをやらせることが一番いいことなのではないかと思います。