講師 千原 靖弘
内藤証券投資調査部
1971年福岡県出身。東海大学大学院で中国戦国時代の秦の法律を研究し、1997年に修士号を取得。同年に中国政府奨学金を得て、上海の復旦大学に2年間留学。帰国後はアジア情報の配信会社で、半導体産業を中心とした台湾ニュースの執筆・編集を担当。その後、広東省広州に駐在。2002年から中国株情報の配信会社で執筆・編集を担当。2004年から内藤証券株式会社の中国部に在籍し、情報配信、投資家セミナーなどを担当。十数年にわたり中国の経済、金融市場、上場企業をウォッチし、それらの詳細な情報に加え、現地事情や社会・文化にも詳しい
日本の食文化において、鍋料理は欠かせない。古代から日本の住居には、一家だんらんの場に囲炉裏(いろり)があり、そこに吊るされた大鍋で食材を煮炊きした。昔話を描いた絵本やアニメでは、おなじみの光景だ。
囲炉裏の鍋は大きく、主婦などの調理人が料理を取り分け、各々に配膳した。鍋料理は家庭における「富の再分配」。それを仕切る主婦は家庭内政治の権力者であり、「鍋座」(なべざ)「鍋代」(なべしろ)などと呼ばれた。
江戸時代に入ると、囲炉裏のない料理屋で、火鉢などを使った小鍋料理が発達。各人が箸で鍋から料理を直接つつくようになった。

配膳された食事

中央に小鍋料理

明治時代に入ると、日本人家庭の食事スタイルが変化。料理は各人に個別に配置される膳(ぜん)ではなく、家族全員が取り囲む座卓の「ちゃぶ台」に置かれるようになる。家庭でも小鍋を取り囲めるようになり、牛鍋(すき焼き)の流行も相まって、家族全員が箸でつつく鍋料理が本格的に普及した。

テーブルに置けるガスコンロが普及すると、家庭でも加熱しながら鍋料理を楽しめるようになる。日本人家庭の鍋料理は、囲炉裏の時代から一家だんらんの象徴。リラックスできるので、入試前日の夕食としてお勧めだ。
こうした日本の鍋料理で定番の具材が白菜だ。当たり前のように鍋に入るので、白菜も囲炉裏の時代から存在するように思われがちだが、日本での歴史は意外にも浅い。

白菜は菜の花と同じアブラナ科

一番下に「ウォンボク」の表示
白菜はアブラナ科の植物で、中国原産とされる。それゆえ英語で「チャイニーズ・キャベツ」と呼ばれ、ドイツ語など多くの言語でも、白菜を「中国のキャベツ」という。
一方、英語には「ペッツァイ」という別名もある。これは白菜という漢字の福建語読みに由来し、タガログ語などが採用している。ロシア語などでは「ペキンスカ・カプスタ」と呼び、「北京のキャベツ」を意味する。

韓国では晩秋の風物詩
主役は白菜キムチ(ペチュキムチ)
豪州では「ウォンボク」と呼ぶが、これは「黄芽白」(ウォン・ンガ・バク)という広東語の白菜の別名に由来する。
朝鮮半島では白菜という漢字の朝鮮語音に合わせ、当初は「ペクチェ」と呼んだようだが、やがて母国語化し、現代では「ペチュ」という。日本では漢字の音読みで「ハクサイ」というが、この日本語の名称を採用する国もある。このように白菜には世界中に色々な呼び名があるが、いずれも中国に由来する。

白菜は古代から中国の長江下流域で栽培されていた。当初の白菜は丸くなかったが、明王朝の時代ごろに結球する品種が誕生。白菜の主産地は華北に移り、李氏朝鮮にも伝来し、白菜キムチ(ペチュキムチ)が広まった。
日本に白菜が輸入されたのは江戸時代の後期であり、それは結球しない品種。だが、アブラナ科の植物は交雑性が強いため、品種を保持できず、普及に至らなかった。

山東白菜から結球白菜の栽培に成功
1917年に「愛知白菜」と命名
中国の白菜が日本に広まるきっかけは日清戦争。丸く結球した白菜を日本で栽培しようと、品種の保持に試行錯誤を重ね、ついに大正時代になって量産化に成功した。鍋料理で定番の白菜は、新参者の中国野菜なのだが、すでに日本の伝統的料理に溶け込んでいる。